「打倒ウッズ」ニューヨーカーが求めたドラマ/2002年ベスページの記憶
今年の「全米プロ」の舞台は、ニューヨーク州のベスページ州立公園ブラックコース。マンハッタンの東50kmに位置するニューヨーカーの憩いの場で、初めてメジャーが開催されたのは2002年6月の「全米オープン」だった。
前年の2001年9月11日、ニューヨークは米同時テロの標的のひとつになった。目の前に広がる景色が一変した中で開かれた大会で、人々の心をくすぐったのは、時代に君臨する絶対王者と、スノッブな都市生活者びいきの人気者、「神の子」と呼ばれた若きヒール役が織り成すストーリーだ。
杉澤伸章氏の証言
大会では、16位で終えた丸山茂樹選手のキャディを務めました。
2000年から01年にかけて、タイガー・ウッズがメジャー4連勝を遂げていました。少し大げさですが、当時のウッズは「出れば優勝」という勢いや強さを誇っていた。そこで、ウッズ以外の選手にも期待が集まりました。スポーツ観戦に慣れているニューヨーカーたちは、その楽しみ方を知っています。ウッズの優勝も見たいけれど、敗れる瞬間も見てみたい。「打倒ウッズ」のストーリーを欲しがっているように感じていました。
大会前、真っ先にニューヨーカーたちの心をつかんだのは、実はフィル・ミケルソンだったんです。もともとファンの多いミケルソンがメディアを通じて「I LOVE NEWYORK」と言った。ミケルソンへの声援は半端じゃなかった。正直、大会期間中、ミケルソンの方が応援は多かった。ウッズには少なからずアウェーの雰囲気があったと思います。強すぎて、憎まれたんですかね(笑)
もう一人の役者は、当時22歳のセルヒオ・ガルシアです。数年前に「神の子」と言われ、初日は首位のウッズと1打差。いよいよメジャーを獲るかという雰囲気もありました。ただ、ガルシアはアドレスしてから打つまでの時間が長く、観客にグリップの回数をカウントされたり、テレビ解説者に秒数を数えられたりしました。このときはヒール役に回ってしまいましたね。若さからか怒りを露わにするようなポーズをして、非難もされました。
大会期間中は雨が降りました。連日サスペンデッドとなり、毎朝4時に起床。ただ、観客たちのボルテージはこれで高まりました。台風の日に子どもたちのテンションが上がるように「もう濡れたんだし、あとはどうにでもなれ」っていう感じですかね。
コースコンディションが悪くなればなるほど、ウッズの強さが際立ちました。ランは出ず、キャリーで飛ばすしかなかったのですが、ウッズは極端に長いラフを避けるように3Wを使いました。ロングアイアンやミドルアイアンの精度は世界一。タフなセッティングだから少しでも前に行きたいけど、ウッズは違いました。これだけ長いコースでも、フェアウェイから打つことを最優先していました。攻め方は、ほかの選手と一線を画していました。
ほとんどの選手がリスクを冒しながらティショットで1Wを握りました。ミケルソンもドッグレッグの多いコースで、ショートカットを狙って果敢に1Wを使いました。ウッズとミケルソンの攻め方の違いも、面白さを増幅させました。
この林間コースは、木の上にかなりの強風が舞います。体感では分からない風が吹いていて、キャディとしてもジャッジはすごく難しい。でも、タイガーのクラブ選択はことごとく当たっていました。最終日の11番、右ラフからの158ydの一打。方向性も完璧なショットが最も印象に残っています。派手なショットだけじゃない、本物の強さがありました。
ほかの選手にどれほど期待が寄せられても、最後はウッズが魅了してしまう。結局、ウッズのプレーには毎ホール、地響きのような歓声が沸きました。どんな状況でも崩れず、やっぱり強く、主役なんだなって思いました。
自分のことを振り返ると、実は当時のプレーはあまり詳しく覚えていません…。選手の平均スコアが『76.48』だった3日目に、丸山さんは3アンダー「67」を出したんですよ。ただ、詳しい内容までは思い出せない。本当に目の前の一打に必死にならないと簡単にやられてしまう。それくらい難しいコースでした。
今年の「全米プロ」では、今度はタイガーがニューヨーカーたちから“ホーム”として受け入れられるはずです。傷だらけになっても何度も立ち上がり、「マスターズ」で11年ぶりにメジャー優勝を遂げた。そういうストーリーが好まれます。対抗馬は誰になるでしょうね? あれから17年が経ちました。ただ、ニューヨーカーたちが描く次のドラマにも、その中心にはウッズがいます。
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2002年「全米オープン」を制したのは、ウッズだった。通算3アンダーで終え、2位のミケルソンに3打差、最終日最終組で争ったガルシアには6打差をつけた。当時“モンスター”と表現された長距離コース(7214yd/パー70)を、ただ一人アンダーパーで回った。
杉澤伸章(すぎさわ・のぶあき) プロキャディ、ゴルフ解説者。1998年にキャディとしてのキャリアをスタートし、2002年に丸山茂樹と専属契約を結んだ。03年の丸山の米ツアー初優勝、04年「全米オープン」の4位をサポートした。現在は心理カウンセラーやメンタルコーチングの資格も取得。「ゴルフネットワーク」の解説でもお馴染みだ。