腰痛と戦い、復活にかけるボブ・メイ
ゴルフは重量挙げではない。ゴルフのプレイでは実際に重いものを持ち上げることはない。しかし、赤ん坊を抱いて歩き回るようなものではある。ボブ・メイはそのことをわかりすぎるほどよく知っている。それは彼の腰痛がよく物語っている。ボブ・メイは最高の接戦となったメジャー、2000年のPGAチャンピオンシップで自信をつけ、そのモメンタムを維持している。あのタイガー・ウッズを限界まで追い込んだ無名のチャレンジャーとしての彼のプレイぶりはすばらしかった。そのことで彼は自分がゴルフというゲームの最高のレベルで戦えることを知ったのだった。
その後の活躍も彼の自信を深めさせることだった。ヴァルハラで、3ホールのプレイオフの末、一打差で破れた翌週、彼はリノ・タホ・オープンで3位に入った。PGA以降の去年の8試合で、25位以内に6回入っている。ほんの6月末までは、52試合もトップ10に顔を出したことのないプレイヤーにとって、それはすごいことだったはずだ。彼は世界を回って頭角を現してきた晩成型のプレイヤーである。その活躍は、かつてアメリカのジュニア・ゴルファーとして頂点に立っていたことの証である。しかし、腰痛がその歩みにブレーキをかけた。ゴルフはどうしても腰椎に負担をかけてしまうスポーツだが、彼の腰の問題は、ゴルフよりも子どもの世話が原因であると彼は説明する。
「シーズンはじめの西海岸では、私は調子がよかったのですが、そこでこれがギクッと来てしまったんです」 ボブ・メイはボブ・ホープ・クライスラー・クラシックの3日目に12アンダーだった。しかし、66でまわったその日、腰の痛みとこわばりを感じた。彼の恐れは翌朝、現実となった。
「動けなかったんです。腰がどうすることもできなかった」 彼はボブ・ホープを棄権した。その2月16日から4月5日のマスターズまで、彼は競技には出ていない。その7週間、彼は地元ラスベガスにいて、腰椎の4番目と5番目の間の椎間板を元の位置に戻すべく、有名な理学療法士であるキース・クレヴェン(Keith Kleven)のもとでリハビリに専念していた。そのときになってメイは、腰の問題の原因を悟った。去年9月25日に生まれた娘のマデリーンを抱きかかえるときに腰椎に負担がかかりすぎていたのだった。
最初の子ども、トレントンは1997年秋に生まれている。メイはそのときにも腰痛に見舞われた。 「どうやら、子どもを授かるたびに起きるようなんです。だからもう、子どもはつくらないでしょう」
いや、彼のことを誤解してはいけない。控えめで、家族第一というタイプの人物である。彼は、マデリーンの誕生がPGAチャンピオンシップ以来、最大の出来事だと言う。もし、あと一日しか生きられないならば、彼はその一日を妻のブレンダと二人の子どもたちとともに過ごすだろうと言う。つまり、彼が思い知ったのは、子どもを誤ったやり方で抱き上げるとことが、彼の職業にとって致命的であるということだ。
「5キロくらいの赤ん坊を、自分のからだから離して持ち上げると、20キロ以上のものを持ち上げるのと同じであるということを知らなかったんです。それが腰に負担としてかかるんです。いまは、とにかく何をするにも姿勢に気を遣っています」
いま、メイは言ってみればトレーニング中毒だ。毎朝、2時間から3時間のエクササイズをする。通常、朝5時半からはじめて8時に家に戻る。 「いま、私はずいぶん体力がつきました」
同じようにゴルフの方も、調子は上向きだ。マスターズ以来、12戦して予選通過10回。25位以内に3度、入っている。ベストはコンパック・クラシックでの11位タイ。
腰痛だけが彼の悩みだっただろうか。2000年シーズン29位だった賞金ランクを、いま87位にとどまらせているのは、パッティングだ。メイの強みはショットのすばらしさだが、グリーン上では頼りない。去年はツアーでのいわゆるパーオン率(GIR:グリーンズ・イン・レギュレーション)のランクは12位だったが、平均パット数では99位。今年については、8月1日時点でトータル・ドライビングが42位、GIRが57位なのに、パッティングは104位だ。
「彼の場合、すべてはパッティングにかかっていますね」 この2年間、キャディーをつとめているマックス・カニンガム(Max Cunningham)は言う。 「パットを決められるかどうかという問題です」
ボブ・メイがゴルフからも家族からも離れているときは、スピードがあるかないかという問題だ。ハンティングは別として、メイの趣味はバイク・レースとボート・レース。PGAのあと、彼は30フィートのエリミネーターを買った。2,200馬力のトンネルボトムで、時速260キロのスピードが出る。バイクも3台所有している。砂漠で220キロを超えるスピードを出したことがあるが、彼の父親ジェリーの記録にはあと40キロほど及ばないでいる。スピードへのあこがれは父親譲りといえるだろう。ジェリーは車とボートのレーサーだった。
しかし、ジェリー・メイが息子とともにした最も重要な旅といえば、日曜の朝のハイウエイのドライブだったろう。南カリフォルニアでガソリンスタンドを経営するジェリーは、毎週日曜日の朝7時に幼い息子をつれてベルエア・カントリークラブへ行き、有名なクラブプロだったエディー・マリンズ(Eddie Merrins)のレッスンを受けさせた。その後はご存じの通り、1985年、ボブが16歳のとき、67というスコアでロサンゼルス・オープンの予選を通過している。メイはタイガー・ウッズ以前の、ジュニアゴルフ界のタイガー・ウッズだったのである。14歳のときに出場した全米規模のジュニア・トーナメントでは一度も負けなかった。15歳では、全米アマチュアの予選を通過した最年少記録にならび、ジュニアとして全米で2位にランクされた。かつてUCLAのコーチでもあったマリンズは、メイのコーチとして「ジャック・ニクラスをはじめ偉大な選手たちに匹敵する」とメイをたたえている。メイとウッズの関係はジュニア時代にさかのぼることができる。メイが16歳でウッズが9歳。彼らは親しい顔見知りという関係であり続けているが、唯一、彼らが話をしないのは2000年のPGAチャンピオンシップについてだ。メイは言う。
「誰もが尋ねるのは、PGAの話をしたのかということですが、『あのPGAを憶えているかい?』なんて、彼が言うわけはないでしょう? 誰かの傷口に塩を塗り込むようなことがしたいですか?」 BY JEFF RUDE(GW)