初めての五輪ゴルフは1900年パリだった 金メダル獲得を“知らずに”死去?
第33回オリンピック競技大会がフランス・パリで26日(金)に開幕し、男子ゴルフが8月1日(木)、女子ゴルフが7日(水)からそれぞれ4日間の日程で行われる。2016年リオデジャネイロ五輪で112年ぶりに復活したゴルフ競技は、1900年パリ五輪で初めて実施された。文献をもとに124年前の大会を振り返る。
万博の“付属”だった
1896年に第1回近代オリンピックがギリシャ・アテネで開催された4年後、第2回のパリ大会は開催地の選定から波乱含みだった。「近代オリンピックの父」ピエール・ド・クーベルタンの出身地でもあるフランスに決まったのは、当時世界的な人気イベントだった万国博覧会がパリで開催されるためで、付属大会の扱いでしかなかった(※1)。
5月20日から10月28日と約5カ月の長期間に及んだ大会は、付属大会だったこともあって大きな混乱を招いた。実施競技数、出場選手数など正確な記録が残っていないとされる中、国際オリンピック委員会(IOC)は16競技95種目で、24の国・地域から997人が参加したとの見解を示している。クーベルタンは女性のスポーツ参加に否定的だったことでも知られるが、22人の女子選手が初めて参加した。
男子優勝者は“二刀流”
初採用のゴルフは男女の個人競技2種目。男子は36ホールのストロークプレー。チャールズ・サンズ(米国)が「167」で優勝し、ウォルター・ラザフォード(英国)が「168」、デビッド・ロバートソン(英国)が「175」で続いた。女子はわずか9ホールでマーガレット・アボットが「47」で制し、ポーリン・ウィッティアが「49」、ダリア・プラット(いずれも米国)が「53」で続いた(※2)。
男子優勝のサンズは1895年の第1回「全米アマ」で準優勝していた。パリではテニスにも出場し、シングルス1回戦で敗れた。テニスの試合は7月6日で、ゴルフは10月2日(※3)。日程も含め、今では考えられないことだった。
芸術“留学”のついで?
3位以内の入賞者にメダルが贈られたのは、実際にクーベルタンが運営に関わった陸上競技だけとされ、そのメダルすら製作が間に合わず、選手に届いたのは2年後だった。
賞状とメダルを授与される表彰式がなく、オリンピックとは知らずにプレーしている選手もいた。女子ゴルフで優勝したアボットもその一人。母とともにパリへ来たのは万博を訪れ、エドガー・ドガとオーギュスト・ロダンのもとで芸術を学ぶ旅行の一環で、その合間にゴルフトーナメントやテニスの「全仏オープン」に出場していた。アボットは亡くなるまで自分が“金メダリスト”になったことを知らなかったという(※4)。
※1=出典:「古代・近代・現代のオリンピック:知られざる歴史と未来への社会遺産」(大熊廣明 監修、稲葉茂勝 著)
※2=出典:「オリンピック記録総覧:メダリスト&日本選手」(日外アソシエーツ株式会社 編集)
※3=出典:「オリンピック全大会:人と時代と夢の物語」(武田薫 著)
※4=出典:「スポーツの文化史:古代オリンピックから21世紀まで」(ヴォルフガング・ベーリンガー 著、高木葉子 訳)