「キャッシュカードはどこに消えた?」Hong Kong, China
暗闇に光るデジタル時計は「3:30」を表示していた。ベッド脇の受話器を取ると、電話の向こうの男が早口に言う。「監視カメラの映像を確認しました。あなたが去ってから、次の客が使うまで11分。ほぼ間違いなく、カードは機械に飲み込まれています」。ホテルの部屋に戻ったのは30分ほど前のこと。すでに眠りに落ちていたところを叩き起こされて一瞬いら立ちも覚えたが、それは筋違いの感情だった――。
(これは取材で世界を旅するゴルフ記者の道中記である)
そう、たしかにあのときだ。香港滞在の最終日、仲間数人でホテル近くの繁華街に食事に出かけた。日曜日だからなのか、路上には家族連れの姿も多く、飲食店も賑わっていた。我々が目指した鶏専門店の前にも、数組の行列ができていた。待ち時間を利用してホテルのATMで現金を下ろしたとき、キャッシュカードを取り忘れたのだ。
2020年1月初旬、香港政府への抗議活動は沈静化し、コロナウィルスの懸念もまだ発生していなかった。それでも、セントラルの商業施設やビクトリアピークといった有名観光地に人は少なく、香港特有のうるさいほどの活気は失われていた。「中国人は嫌いじゃない。でも、中国のシステムは嫌いなの」。知り合いの香港人は複雑な心境をそう語っていた。
食事を終えて仲間と別れ、ひとりマカオに向かった。香港-マカオ間はフェリーで約1時間。食後の散歩にしては少し遠いが、未踏の地を訪れてみたかったのだ。フェリー乗り場に人は少なく、22時過ぎに着いたマカオもまた閑散とさびれていた。ただ、遠くの巨大ビルには派手な電飾が瞬いている。あそこには熱気が渦巻いているのだろうか?
入場口で額に機器を当てられ、チェックを受けた。オールドマカオのカジノ客は中国系の人たちがほとんどで、どこにいっても人気は「大小」と「バカラ」だった。テーブルを遠巻きにして客の顔を眺めながら、自分もこの一員になりたいか?と考えると、なかなか「YES」が出てこない。店内のエナジードリンク無料配布に群がる客の姿も異様だった。
数軒をめぐり、ひときわ大きなリゾートホテルで「ルーレット」を発見した。ヨーロピアンスタイルは得意ではなかったが、せっかくなので少し遊んだ。途中、従業員の若い女性が近づいてきて、「会員登録したら豪華なプレゼントをあげますよ」と勧誘してきた。トラベルアダブターがその品だったが、会員登録にはパスポート番号が必要だという。丁重に断って、代わりに飲み物を注文した。「オーケー。1ドリンク、1パスポートナンバーです」とその子がにっこり微笑んだ。「冗談よ」。
財布にあった数千円分の香港ドルは、一時数倍に増えたものの目標額に届かないうちに消え去った。「うーん、あと少しだけ遊んでいくか」。そう心を決めたときに気がついたのだ。あれ、キャッシュカードがない…。
すでに深夜を回っていた。急いで香港に戻ったといっても、再びフェリーに乗り、ホテルに着いたのは午前3時だ。フロントスタッフに事情を話すと、「以前にもそういうことがありました。もしカードを取り忘れても、2分以上そのままならば、自動的に機械に飲み込まれます」と言われた。誰かが持ち去っていないか、すぐ監視カメラの映像を確認するという。こちらは部屋に戻ると疲れてパタリと寝てしまったが、彼はただちにチェックして、結果を電話してくれたのだ。怒る理由なんて、どこにもない。
朝になって日本の銀行に連絡すると、そういう場合はカード利用を止めた上で、無料再発行してくれるという。結果的には実害もなく、親切な従業員も心に残った“幸運な紛失”だった。もしかしたら、マカオでの損失も未然に防いでくれたのかもしれないな。(編集部・今岡涼太)