シード陥落でも「いい年だった」 不屈の植竹希望が憧れる背中
傍から見れば次々と試練が降りかかる、タフなシーズンだったかもしれない。それでも、「ヤマハゴルフ ファンサミット」に参加した植竹希望は開口一番、「いい年だったなと思います」と言った。
昨季「KKT杯バンテリンレディス」で初優勝。さらなる飛躍を期待したはずの2023年は出場34試合でトップ10入りがなく、予選落ちが17試合を数えた。2シーズン守ったシードを喪失。“タメ”の深いダウンスイングが特徴のショットメーカーだが、これまで手首の骨折や腕の肉離れに苦しんだこともあり、負荷をかけない動きを模索した末に迷路へと入ってしまったという。「オフに取り組んだことがちょっとうまくいかなくて、戻そうとしても、今度はなかなか戻らない。中途半端なところで右往左往して…」
悪いことは重なる。最高気温37℃に迫る猛暑の中で行われた7月「楽天スーパーレディース」2日目に熱中症となり、担架で医務室へ運ばれた。ただ、「それも失敗と思わずにいい経験だと思って」と下を向かない。医師や他競技のアスリートの助言も参考にして食事や睡眠の質にこだわるようになったのも、アクシデントがあったからこそだとうなずく。
QTファイナルステージは9オーバー76位に沈んだが、自身のツアー最終戦となった「大王製紙エリエールレディス」直後に来季を見据えて動き出しているから取り組みに迷いはない。「オフに入った瞬間から、自分の中ではもう(24年)シーズンが始まっています」。独学かつ感覚重視だった好調時のスイングを、基礎から再構築すること。一方でトレーニングは他競技のプロ選手との合宿に初めてトライして自分を追い込むつもりだ。
「もう25歳になっちゃってますけど、でも、自分ではまだまだ伸びしろがいっぱいあると思っているんで。選手として45歳までは頑張ってやりたいなって思っているんで」。長いキャリアを思い描くのは、そこに目指す背中があるから。「大山志保さんを超えるのが目標なので…」と恐縮しながら明かす。
小学2年生の時、打ちっぱなしの練習場にあるテレビで見た「フジサンケイレディス」が忘れられない。最終18番で20m超のバーディパットを決めてプレーオフに持ち込み、優勝した2006年大会。一気にファンになった。
ウェアの色や先輩の代名詞でもあるガッツポーズの仕方をマネするだけでなく、かつて大山が練習していたと聞いた千葉のゴルフ場に通って中学生から腕を磨いた。「コースの方も良くしてくださって、『志保ちゃんは、こういう練習をしていたよ』『毎日真っ暗になるまでパターをやってたよ』と。私も迷惑になるんじゃないかってくらい、ずっと練習させてもらった」。それだけ必死に追いかけてきた夢を、一度のつまずきで諦められるわけもない。「(レギュラーの)試合で推薦をいただければ、そこで“勝ったろう!”って」。強い決意で巻き返しの2024年に向かう。(編集部・亀山泰宏)