劇的チップインで初勝利!宮里優作「腰が抜けた」
東京の寒空へと舞い上がったボールは、長かった勝利への道筋を描いて消えた。国内男子ツアー「日本シリーズJTカップ」最終日。今季最終戦、第50回の記念大会で、宮里優作が悲願の初勝利を飾った。通算14アンダーの単独首位から出ると、アンダーパーがわずか5人という難コンディションの中を「71」でまとめ、通算13アンダーで逃げ切った。
すり鉢状に整備された自然のギャラリースタンドが待ち構える18番グリーン。最後の試練は東京よみうりカントリークラブの名物ホールで訪れた。2位の呉阿順(中国)に3打差を付け、ダブルボギーでも逃げ切れる場面。しかし、ティショットはグリーン左にこぼれ落ち、左サイドからの第2打アプローチも低く飛び出して、傾斜の強いグリーンに大きな弧を描きながら反対側のラフまで転がっていった。
右ラフからの第3打、ピンまでの距離は6ヤード。わずかに逆目の芝の上をサンドウェッジが勢いよく滑る。フワリと浮かせたボールは、ピン上1メートルに着地し、そのまま急傾斜を下っていく。「とにかく上りのラインから2パットが打ちたい。ピンに当たって止まれ!」。だが次の瞬間、白球はカップに吸い込まれ、歓声を集めた轟音が響き渡った。
雄叫びを上げ、拳を振りおろし、プロ転向後11年目で初めて作った勝利のガッツポーズ。だがすぐにその場に膝をつき、四つん這いになった。「あれが腰が抜けるという感じなんでしょう。足がもう一歩も出なかった」。喜びの涙は、その態勢のまま日焼けした頬を伝った。
沖縄が、いや日本が誇る逸材の待ちに待った初勝利。1994の日本ジュニアで初の日本タイトルを獲得後、日本のトップアマとしての道を歩み続けてきた。東北福祉大時代の2001年に日本アマ優勝、02年には日本学生3連覇を遂げた。
ところが同年末に鳴り物入りで飛び込んだプロの世界では、ただ1勝が遠かった。同門の池田勇太をはじめ藤本佳則、松山英樹ら後輩たちにどんどん先を越された。ショット技術は誰もが日本有数の持ち主だと認めている。だが、コースでそれが表現できない。最終組最終日でプレーしたのはこの日が実にキャリアで16度目。いつしか、なかなかチャンスをモノにできない自分のことを「僕は“練習場プロ”」と自虐的に言うようになった。
外野からの計り知れない期待とは裏腹に、いつも胸にはジレンマを抱えていたという。「大学時代は確かに良かった。けれどプロの世界で“優勝”はしていなかった」。アマ時代にはプロツアーで、なんと9度のトップ10入りがある。しかし石川遼や松山、そして実の妹である宮里藍のように、勝ったわけではなかった。「なんとなく、勢いがあっただけ」。勝利への難しさを根本から理解しているのは、本人以外なかった。
だからこそ、1勝のために力を注いできた月日に胸を張る。「焦りは無かった。勝つために何が自分に必要かずっと考えていた。11年かかったけれど、長いと言えば長い。けれど、短いと言えば短かった。毎年、あっという間に1年が終わってしまうから」。近年はショートゲームの向上、メンタルトレーニングに精を出してきた。
ホールアウト直後、同組で優勝を争った大学の先輩・谷原からは「これからが大変だぞ」と声をかけられた。「自分の勝ち方はまだはっきりと分かっていない。とにかくまず2勝目をすることが大事」と宮里は凛と前を見た。プロとしての第2のスタートがいま、切られた。(東京都稲城市/桂川洋一)