30代初勝利 石川遼のこれまでを振り返る
◇国内男子◇三井住友VISA太平洋マスターズ 最終日(13日)◇太平洋クラブ御殿場コース(静岡)◇7262yd(パー70)
石川遼が31歳57日で、日本ツアー通算18勝目を挙げた。30代になってからの勝利は初めて。高校時代、プロの世界に飛び込んだ10代で9勝。8勝をマークした20代はPGAツアーにも挑戦、苦しい時間も長く過ごした。10代、20代、30代をそれぞれ振り返る。
15歳で日本ツアー優勝、18歳で賞金王戴冠
埼玉・松伏第二中に入学した2004年に「埼玉県ジュニア選手権・中学の部」で優勝。05年「全国中学選手権」、07年の卒業間際に同大会の春季大会を制した。東京・杉並学院高1年時の同年5月、初めて出場したプロツアー「マンシングウェアオープンKSBカップ」で優勝し、15歳245日の最年少記録を樹立。翌08年1月、16歳でプロ転向。2年目の09年に4勝を挙げ、18歳で史上最年少の賞金王に輝いた。
世界最少ストローク「58」
10年5月「中日クラウンズ」最終日に最少ストローク「58」をマーク。シーズン3勝目となった11月「三井住友VISA太平洋マスターズ」が10代最後、19歳で手にした最後のタイトルになった。
21歳でPGAツアー挑戦、26歳でシード喪失
小学校の卒業文集に「20歳でマスターズ優勝」と記した夢。2011年9月に20歳になり、4回目の出場となったオーガスタでの12年大会は予選落ちだったが、スポット参戦したPGAツアーで獲得賞金を積み上げ、翌年からの出場権を手にした。また、21歳になって約2カ月後の11月「三井住友VISA太平洋マスターズ」で20代初勝利を飾った。
13年1月、正式メンバーとして本格参戦したPGAツアーでは苦戦した。初年度末から下部ツアーとの入れ替え戦に臨み、腰痛にも悩まされ出場権をキープするのに必死だった。一時帰国した日本ツアーでは14年から3年続けて優勝(4勝)しながら、主戦場では5年間でトップ10入りは7回。17年にツアーカードを喪失し、26歳になった秋に日本ツアーに復帰した。
国内での戦いに専念した18年はゼロ勝。19年は「日本プロゴルフ選手権」から2連勝、「日本シリーズJTカップ」でシーズン3勝目を挙げ賞金ランキング3位で終えた。新型コロナ禍が始まった2020年春から大幅なスイング改造に着手した。
「30歳」ではゼロ勝 米国再挑戦も
2021年9月に30歳になり、10月にPGAツアーの下部コーンフェリーツアーの予選会(Qスクール)を受験した。セカンドステージで敗退したが、今も捨てきれない夢、米国再挑戦への意欲を示した。
その後、米国からの帰国後の自主隔離期間中に隔離措置違反が発覚し、11月から1カ月の出場停止処分を受けて21年シーズンを終了。仕切り直しの今季は5月の「中日クラウンズ」で7位タイ。8月「セガサミーカップ」からの直近3試合でトップ5に2回入った。バースデーウィークの「ANAオープン」では大槻智春にプレーオフで敗れて2位。「バンテリン東海クラシック」で腰痛を訴えて途中棄権するアクシデントがあった。
「三井住友VISA太平洋マスターズ」はアマチュア時代の2007年に初出場し、10年、12年に優勝。ツアー通算18勝目を、大会3勝目で飾った。