2014年 バルスパー選手権

ブログでは書ききれなかった 石川遼「震災3年後」の誓い

2014/03/12 11:24
プエルトリコからタンパ入りし、練習ラウンドに精を出す石川遼。3月11日への思いとは

あの日、石川遼は大西洋を臨むフロリダ州の南東部ドラールにいた。「WGCキャデラック選手権」の2日目早朝、インターネットで東日本大震災の一報を知った。津波が陸地を襲う衝撃的な国際映像は、ゴルフ場のクラブハウス内でもモニターを独占。コース内の世界中の国旗は半旗となり、ラウンドを終えた石川は、国内外の報道陣に取り囲まれ、沈痛な面持ちで「いま僕にできることをやる」と、言葉を絞り出した。

あれから3年。日本から遅れること半日あまり、石川は3月11日の朝を同じフロリダで迎えた。今週「バルスパー選手権」が行われるタンパ近郊で、まず自身のホームページに「東日本大震災から3年が経ちました。ひとりひとりにできることを ゆっくりやっていく姿勢が大切な気がします」とメッセージを寄せ、被災地に、母国に思いを馳せた。

震災以降、石川は2011年シーズンの獲得賞金全額を義援金に充てたほか、毎年冬のオフに被災地の小学校を訪問している。それは支援はもとより、「僕にできることは何か?」の答えを1つでも多く見つけるための過程でもあった。「地震が起こって、被害が出てしまったものは、なかなか取り戻せない。壊れてしまった家、流されてしまったものを元通りにすることはできない。じゃあ、何をすべきなのかって」。

自問自答を繰り返し、3年の月日が流れた今。石川は見つけた答えのひとつを「僕は“学ぶこと”だと思うんですよ」と明かした。

遠く離れた母国で起こった大災害。胸が締め付けられるような思いがしても、自身は揺れすらも体験しておらず、恐怖をともにしたわけではなかった。「(埼玉育ちの)僕は阪神大震災のこともよく知らない。東日本大震災の時もアメリカにいた。震災を経験されていない方もたくさんいる。津波の怖さも、身を持って体験していない人は多いわけで」。実体験がないことによる当事者との“温度差”はジレンマでもあった。

ただ支援活動を続けながら、災害から目を背け、忘れていくことこそが、最も避けるべきことと感じた。

この春、石川は知人を介して新たな活動に参加した。現役高校生が経営陣となっている株式会社GLOPATH(グローパス)が事業のひとつとして提唱する「減災」への呼びかけに賛同。まずは今月7日に都内で行われたフォーラムに、ビデオメッセージを送ったという。

「地震などの災害が起こった時に、物を倒れにくくするとか、いかに被害を減らすかというのが減災。今は幼稚園でも小学校でも地震が起こった時の避難訓練を徹底されている。あとは自分たちが家にいた時に、災害時にどういうルートで避難するとか、まず何をするといったことを、みんなが共有をしていくことが大切。そうすることで実際に起こるかもしれない災害による被害を最小限に食いとどめることができるかもしれない。アメリカの人は、地震に慣れていないですし、みんなびっくりして動揺してしまうこともあるはず。これは世界中で共有していかなければいけないことだと思う」

お金を出す、物資を届ける、現地に足を運ぶ、情報を伝える。支援の形は様々ある。被災地から目をそらさず、恐怖とその備えの大切さを次世代へとつないでいくことも、そのひとつだ。

「これは自分が生きている時に起こった出来事なんです。僕の人生の一部として残っていきます」。当事者意識を持ち、学び続けることを、石川は胸に誓っている。(フロリダ州タンパ/桂川洋一)

■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール

1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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