M.クーチャー、思い出の詰まったオリンピッククラブ
2012年の海外メジャー第2戦「全米オープン」の舞台は、カリフォルニア州サンフランシスコにあるオリンピッククラブ。この名門コースで同大会が開催されるのは今年で5回目を数え、前回の開催は1998年にまで遡る。
第2ラウンドを終えて、通算3オーバーは首位に4打差の9位タイ。首位の座を見据えた位置で決勝ラウンドを迎えるマット・クーチャーは、感慨深い想いでオリンピッククラブをラウンドしていることだろう。98年大会にローアマチュアを獲得した同じ舞台で、14年後にプロとして首位争いを演じているのだから。
「14年前というのがウソみたいだ。まだ1年か2年しか経っていないようだよ」。それだけ98年大会は、クーチャーの中で鮮明な記憶として今も心に留められている。その週はファーザーズ・デイ(父の日)と重なったこともあり、父のピーターがキャディを務めたという。父子2人で臨んだ全米オープンで14位タイという好成績を収め、「すごく印象に残っている」と振り返る。その年は「マスターズ」にも出場し、21位タイでこちらもローアマに輝く栄誉を手にしていたが、「マスターズでも素晴らしい時を過ごしたけれど、この大会(全米オープン)の方が鮮明に覚えているんだ」と熱っぽく語った。
「14年前はテストをさせられているようで、全てを試されているようだった。とっても疲れた」とクーチャー。そして今年、開幕前週に練習ラウンドをした時も、「14年前に比べて難しく感じた。やっぱりあの時と同じで、すごく疲れたよ」と、その感覚は全てが当時のまま。「ここに戻って来られて、すごく嬉しかったんだ」。
思い出がいっぱいに詰まった舞台で、好位置で決勝ラウンドを迎えるクーチャー。会場には、もちろん両親も応援に駆けつけている。2日後、クーチャーがメジャー初タイトルを手にするようなことがあれば、その時は素晴らしいストーリーが世界に発信されることだろう。(カリフォルニア州サンフランシスコ/塚田達也)
■ 塚田達也(つかだたつや) プロフィール
1977年生まれ。工事現場の監督から紆余曲折を経て現在に至る。35歳を過ぎてダイエットが欠かせなくなった変化を自覚しつつ、出張が重なると誘惑に負ける日々を繰り返している小さいおっさんです。