苦悩と変化の6カ月半 石川遼、戦線離脱から結婚後の初勝利!
日本ゴルフツアー機構の青木功会長が、表彰式の壇上で石川遼に祝辞を贈った。「きょうは遼のための日になったな。半年以上もゴルフをしないで、やっと出てきて勝った。これから男子ツアーも盛り上がるはず。感謝するよ。ありがとう」
2打差の単独首位から「RIZAP KBCオーガスタゴルフトーナメント」最終日を出た石川が、5バーディ、2ボギーの「69」でプレー。通算15アンダーとして後続との差を5打に広げ、故障から復帰2戦目を圧勝で飾った。しかも、初日から4日間リードを守り切る完全優勝で、まさに石川が主役に立ち続けた4日間だった。
ツアー復帰後の初優勝だったことも、さらに彩を添えた。米国ツアー開催中の2月に急な腰痛に見舞われ、主戦場を離れてから6カ月半。優勝までの道のりについて「試合に出ていなかった分、早く感じた」と淡泊な言葉で済ませたが、クラブを満足に握れない日々に当然ながら苦悩も多かった。
直後は20ydほどのアプローチでも腰に痛みが走り、2週間続けてトーナメントをキャンセル。ついにツアーからの離脱を決意し、完治を目指して日本で静養に努めた。5月ごろになり、ようやく50ydの距離を打てるようになった。小さいながらも前進に希望を見つけ「そこからは、毎週20~30ydくらい距離が伸びていった」と、復調への光は強さを増した。
3月には同級生の女性との結婚を発表。転戦中とは異なり、夫婦で過ごせる時間が増えたことに「悪いことばかりじゃなかったのかな」と振り返ったが、やはりプロゴルファーとしての闘争本能は、幸福な記憶だけを残すわけではない。「常に感謝している」と伴侶に配慮を示しつつ、「それ以上に、ゴルフができないなんて自分ではない生活みたいな気がして。何をやっているんだろう、と思った」と、葛藤を明かした。
その中でも、スイングに負担がかかる部位への的確な筋力増強などを経て、ミドルアイアン、ロングアイアン、フェアウェイウッドと、月日とともに振り抜けるクラブの番手は上がっていった。
そして、国内ツアー復帰戦となった7月の「日本プロ」。カットラインに遠く及ばない通算12オーバーの127位で予選落ちしたが、クラブを思い切り振り抜いても痛みが残らないことを実感できた。それが、当時の石川にとって何よりも大きな収穫だった。「散々な結果だったけど、あそこから急速にメンタルもフィジカルも上がった。日本プロに出ていなかったら、今も恐々と練習していたと思う」。
今週も、結果より「思い切りゴルフをして、100%大丈夫な自分を信じたかった」と再確認することが、実は一番の目的だった。「これなら戦えると置いてきたラインが、間違ってなかったと思えた」。次週は、2009年、10年と連覇を飾った「フジサンケイクラシック」に出場する。10月の米国ツアー復帰を目指して踏み出した大きな1歩を、さらなる加速につなげていく。(福岡県糸島市/塚田達也)
■ 塚田達也(つかだたつや) プロフィール
1977年生まれ。工事現場の監督から紆余曲折を経て現在に至る。35歳を過ぎてダイエットが欠かせなくなった変化を自覚しつつ、出張が重なると誘惑に負ける日々を繰り返している小さいおっさんです。