ここは白河の関 武家の血を引く時松隆光がツアー初勝利
「心臓の音に雑音が聞こえます」――。時松隆光(ときまつ・りゅうこう)の母・たか恵さんが、その事実を知らされたのは愛息がまだ生後4カ月のときだった。心臓の右心房と左心房の間に親指ほどの穴が開く、心房中隔欠損症という先天性の病だった。
体の大きさも、成長の度合いも健康体そのものだったが、当時は風邪をひけば入院を余儀なくされた。医師には「16歳までに手術をしなければ、それ以降大きく育つ保証はない」と診断され、4歳で手術に踏み切った。学生時代まで検診は欠かせなかった。
「死ななければそれでいい。そればかりが心配でした」。父・慊蔵(けんぞう)さんは少しでも体を強くさせようと、息子が5歳のときにゴルフに誘った。初めて訪れた練習場で、幼い我が子は父の長いクラブを脇に挟んで、ボールを10ydほど軽快に打ち続けたという。それからは心臓病の後遺症も感じさせないまま時は流れ、16歳になる年には全国高校選手権の団体戦を制するほどのトップアマになった。
沖学園高を卒業後、2012年にプロ転向してから、これまで一度もシード選手になれなかった。この日、プロ5年目のシーズンで「ダンロップ・スリクソン福島オープン」を制して初勝利を飾った。最終18番(パー5)で80cmのウィニングパットを沈めても、派手なアクションはなく、握手をするため同伴競技者にすぐに歩み寄った。
控えめで、謙虚な立ち振る舞いは、ジュニア時代から時松にゴルフを教えた地元福岡の篠塚武久コーチの影響が大きい。「コースと友達になれ。ガッツポーズなんかをして、友達に逆らうべきではない」。緊迫した様子を極力、相手に見せない。緊張状態から解放されても、相手への、コースへの敬意をキャリア最高のシーンでも忘れなかった。
プロデビュー直前に選手登録名を現在の隆光に変えたが、本名は源蔵(げんぞう)という。時松家は「平家」の血を引く。「源氏に勝たなければいけない」という意味から、多くの先祖の名前に「源」の文字が使われてきた。
本人は最近、この登録名を本名に戻そうかと思案していたところでもあった。「みんなには源蔵と呼んでもらっているし、『戻せ』とも言われる。ホテルやコースを予約するときに名前が違って、手こずることもあって。でも、優勝したので(戻せば)ギャラリーの方に迷惑をかけてしまう…」。うれしい初勝利で、新しい悩みも生まれた。
登録名がどう変わろうが、ゴルファーとしての信念も、心臓病を乗り越えた過去も、そして懸命に見守ってくれた両親の深い愛情も変わらない。「両親、篠塚先生、メーカーの方、そういう方の前で優勝できてうれしかったです」。白河の関で繰り広げられたバーディ合戦を制したのは、武家の血を引く真摯な22才だった。(福島県西郷村/桂川洋一)
■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール
1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw