貫いたリズムとプラン 新たなアマ王者・金谷拓実の強み
◇国内男子◇三井住友VISA太平洋マスターズ 最終日(17日)◇太平洋クラブ御殿場コース(静岡)◇7262yd(パー70)
霊峰富士を背にする名物ホールに冷たい風がなびく。プレーを終えた17番(パー3)のグリーンサイドは、ほんの一時、静まり返った。その場の多くの人が、歴史的な瞬間を待つ緊張感に身を浸す。ショーン・ノリス(南アフリカ)のボギーで、72ホール目を前にアマチュアが再びトップに並んだ。
ティイングエリアに向かう木陰で、金谷拓実(東北福祉大3年)はゴルフ部の阿部靖彦監督と目を合わせ、静かにうなずいた。初めてツアーでキャディに起用された同級生・竹川雄喜(ゆうき)は終始、「落ち着かせようとしたんですけど、簡単に話しかけることもうまくできなかった。でもとりあえず、水分を多めにとらせることを意識しました」という。アドレスに入る直前、この日は何度ペットボトルを口に寄せたことか。リズムを最後まで忠実に守り、18番(パー5)で迷わず引き抜いたクラブは3W。弾道を自信に満ち満ちた視線で追う。ボールはフェアウェイの右サイドを軽快にとらえた。
多くの選手が1Wを振り抜く最終ホールで、したたかにも見える戦略は「スタート前から決めていた」ことだった。初日の1Wショットは傾斜でラフにこぼれた。同組だった池田勇太は3Wでフェアウェイへ。プロの選択をいち早く吸収し、翌日以降の守るべきプランになった。
最終日、パワーで劣る21歳はノリス、Y.E.ヤン(韓国)という海外勢との最終組で幾度となくセカンドオナーになった。前日までのリードはハーフターンまでに2度の3パットでノリスに奪われ、ゲームの流れも譲った。一歩下がった状態ですがったのは、短いながら濃密なキャリアで培ってきた折々の経験だった。「マスターズのとき、最後まであきらめずに2つバーディを獲って予選を通れた(第2ラウンドの後半15、16番)ことがすごく自分に残っている」。キャディバッグには、今年出場した「マスターズ」、「全英オープン」、アマチュア国別対抗戦の「アーノルド・パーマーカップ」のヘッドカバーが並ぶ。どれも人からもらったお土産ではない。すべて自分で現地に行って手に入れたものだ。
アマチュアとしてツアートーナメントを制した3人の先人たち。1980年「中四国オープン」で優勝した倉本昌弘は“ポパイ”と呼ばれる鋼の肉体を持った。2007年「マンシングウェアオープンKSBカップ」の石川遼、そして2011年に同じ「三井住友VISA太平洋マスターズ」で勝った松山英樹にも、若くしてツアーのトッププロと引けを取らない飛距離があった。ここ御殿場で8年前、松山が見せた最終ホールの残り177ydを8Iでピンそば50㎝につけた高弾道のセカンドショットは語り草になっている。
金谷は言う。「飛距離が出る選手だったり、アイアンがうまい選手だったり…。自分にはそういうものがない」。2011年大会に比べて18番の距離は8yd伸び、第1打を3Wで放ったとはいえこの日、第2打で残したのは220yd。大型ヘッドの5Iでなんとかグリーンを駆け上がらせるのがやっとだった。
それでも、勝った。7mのスライスラインを読み切り、松山と同じイーグルで鮮やかに試合を終わらせた。ノリスとの一進一退の攻防は国籍も年齢も、そしてプロとアマの垣根も吹き飛ばす名勝負になった。今なら少しだけ胸を張って言える。口酸っぱく繰り返してきた「自分らしいプレー」とは何か。「…やっぱり負けん気とか、自分を貫くプレーとか…勝負に徹するのは自分の強みかなと思います」。冬晴れの日差しは再び、若きチャンピオンの高揚をビッグトロフィーに映していた。(静岡県御殿場市/桂川洋一)
■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール
1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw