欧州男子ツアー

父が語る久常涼のジュニア時代 欧州ツアー新人王の原点

2023/12/23 13:06
14歳で国内ツアーのマンデー(予選会)を通過。プロの世界が現実味を帯びた(写真は2016年ホンマ・ツアーワールド・カップ)

久常涼が9月「カズーオープンdeフランス」でDPワールドツアー(欧州ツアー)初優勝をあげた。2022年の最終予選会を突破して臨んだルーキーシーズン。欧州タイトルは青木功松山英樹に続く日本勢3人目の快挙となり、日本人として初めてルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出された。

2020年末にプロ転向し、3年目に世界を舞台に飛躍を遂げた21歳の原点は、田んぼと山に囲まれた地元・岡山県津山市。父・正人さん(45歳)の言葉を通してジュニア時代に迫り、プロゴルファー久常涼のルーツを探る。

渋野日向子と同じ練習場で腕を磨く

全国小学生ゴルフ大会で(提供:父・正人さん)

正人さんは回顧する。「ゴルフ場は大人の遊び場だけど、岡山はジュニアにも協力的なゴルフ場が多い。そういう環境をなくさないように、失礼がないように迷惑をかけないことが一番。それは常に言っていた。目土をするとか、遅れないようにプレーをするとか」

小学2年からは同郷の渋野日向子も通っていた緑ヶ丘ゴルフ練習場で腕を磨き、6年時の卒業アルバムには「夢はプロゴルファー」と記した。

年齢を重ねるにつれて競技ゴルフに熱も入ったが、勉強の時間も大事にした。「『最低限はしよう』ぐらいしか言っていないが、小学校の頃は宿題を終えてから練習場に行ってましたよ」。中学に進むと、5教科で300点(平均60点)の“数値目標”を課したという。試合で学校を1週間抜けることもあり、勉強の遅れを取り戻すのも一苦労だった。

クラブはヤフオクで

キャディを務めた父と(提供:父・正人さん)

ゴルフはサッカーや野球、陸上など他競技に比べて、多くの経費がかかる。正人さんが公務員として働く一般的な家庭にとっても、負担は決して小さくなかった。

「うちは普通の家庭だった。『プロを目指すんじゃなかったら、ゴルフはやめて。遊びでやるなら働いてからやって』と言っていた。田舎だったからできたのかもしれない。都会ほどお金もかからないし」。月々の決まったおこづかいもなかった。

メーカーからサポートを受けることもあったが、それで全てはカバーできなかった。「よくクラブをインターネットで買っていました。できるだけ安いものを。体の成長でシャフトとかもすぐに替えることになるから」と、安価な中古品をYahoo!オークション(ヤフオク)などで買い求めた。

夜行バスで単身移動 手配も一人で

男子プロの谷原秀人と記念撮影(提供:父・正人さん)

くじけそうな時に気持ちを奮い立たせる“なにくそ”の精神も自然と育まれた。他のジュニアゴルファーが保護者同伴で試合に来ても、久常は小学校高学年になると一人で会場に足を運んだ。関東圏の試合でも、夜行バスを利用して単身移動。「全部一人で段取りしていました。そういう苦労があるから、“誰にも負けない”って気持ちがあるのかもしれません」と振り返った。

2022-23年シーズンは、合間をぬって出場したアジアンツアーも含めると、欧州からアフリカ、アジア、中東、北米まで26カ国を転戦した。「なんでも一人でできるようになった」と、世界を渡り歩く今となっても移動の手続きは久常自身が行っているという。

弟、妹とスケート(提供:父・正人さん)

日本で10月に開催された米ツアー「ZOZOチャンピオンシップ」で、正人さんは息子がホールアウト後にジュニアゴルファーにサインする姿を目にした。「何があって試合ができているのか。ファンを大事にしてほしいですね」と目を細めた。

少年時代に自ら手配した夜行バスで会場に向かうなどして培った、強い自立心そのままに、現在も単身でたくましく世界を巡る。2024年は主戦場を米PGAツアーに移し、8月には欧州ツアー初優勝を飾ったル・ゴルフ・ナショナルで「パリ五輪」も開催される。日本代表の有力候補にあげられる21歳の可能性は、世界を舞台にますます広がっていく。(編集部・玉木充)

■ 玉木充(たまきみつる) プロフィール

1980年大阪生まれ。スポーツ紙で野球、サッカー、大相撲、ボクシングなどを取材し、2017年GDO入社。主に国内女子ツアーを担当。得意クラブはパター。コースで動物を見つけるのが楽しみ。

2024年は五輪出場の期待もかかる久常涼(写真は2023年ZOZOチャンピオンシップ)