27歳でプロゴルファーから引退 弁護士を経て欧州ツアー審判員に
一生忘れない勝利
あの勝利から7年。かつての「ケニアオープン」王者であるジョルディ・ガルシア・ピントが、プロゴルファーから弁護士、そして欧州ツアー専属の審判員に転身するまでを語った。
30歳のジョルディ・ガルシア・ピントは欧州ツアーの専属審判員であるとともに弁護士資格も持っているが、2013年「ケニアオープン」でプロとして初めて優勝トロフィーを掲げ、王者が名を連ねるエリートリストの仲間入りを果たしている。
チャレンジツアー2勝の彼は、2017年にプロとして引退し、その後は別の形でツアーに加わったのだが、今でもナイロビのカレンCCでのスリリングな幕切れを懐かしい記憶として覚えている。
「あれは一生忘れない勝利だね」とガルシア・ピントは言った。
あの大会はチャレンジツアー2013年シーズンの開幕2試合目であり、大会初日に23歳の誕生日を祝ったガルシア・ピントが栄光に輝いた。
「あれは僕にとってとても特別な週だった」と当時を振り返る。「僕はかなり良いゴルフをプレーしていて、環境は最高だった。これはとても良い大会なんだ」
「ここのギャラリーとは素晴らしいつながりを感じた。なぜかは分からないけれど、彼らは他の選手よりも僕を余分に応援してくれたし、大会期間中はとても居心地良く感じたのだけど、もちろんそれはより良いプレーをする助けとなった」
1週間を通して良いプレーを展開したスペイン出身の彼は、リーダーボードのトップを堅持し続け、残り3ホールの時点で4打差のリードを築いていたのだが、「僕は15番で素晴らしいイーグルを奪い、リードを4打差に広げたのだけど、その後、少しナーバスになり始めたんだ」。16番、17番とボギーをたたき、リードを半分に減らしたのだ。それでもガルシア・ピントは2位に1打差をつける通算12アンダーで大会を制したのである。
これはプロとして最高の期間の始まりだった。2014年に「ナジェッティホテルゴルフオープン」でチャレンジツアー2勝目を挙げ、欧州ツアー2015年シーズンのシード権を獲得した。このプロゴルファーとしての栄冠を懐かしい思い出として大切にしているが、スペイン人選手のプロとしてのキャリアは、その後数年しか続かなかった。
もう競い合うのは十分だと思った
プロゴルファーの道は概して平坦なものではなく、ガルシア・ピントは最大のスポンサーと競うモチベーションを喪失したことで、27歳にしてキャリアに終止符を打った。
「僕は2015年に欧州ツアーのシード権を喪失し、チャレンジツアーへ逆戻りしたのだけど、同時に当時僕にとって最も重要だったスポンサーも失ってしまった」と彼は振り返った。
「僕はその後、2年間チャレンジツアーでプレーを続けたのだけど、最後は全く楽しめなくなってしまい、予選通過のことばかり考えるようになっていた。全てが混ざりあうような感じで、僕はゲームを楽しめていなかったので、止めることに決めたんだ」
「本当に、もう競い合うのは十分だと思った」
ガルシア・ピントにとっては有り難いことに、バックアップのプランは常に存在していた。それはツアーを転戦しながら法律の修士号を修了することだった。
「僕はいつも、ゴルフが上手く行かなかった場合に備え、何か頼りになるものが欲しいと思っていたので、僕はプロゴルファーになりつつ、同時に法律学を勉強することに決めたんだ」
これは結果的に実り多い決断となった。というのも、彼はそのとき既にいつかは審判員の道に進もうと決めていたものの、その道も決して単純なものではなかったからである。
「2017年に引退を決意したとき、僕は既にデビッド・ガーランド(ヨーロピアンツアー統括部長)と審判員になる可能性について話していたのだけど、とにかく我慢強く待たなければならなかった」
「その後の2年間、僕は弁護士として過ごしたのだけど、僕は常に何かゴルフと関係したことがしたかったし、みんなもそれを知っていた。このプロセスには時間がかかり、要するに僕は3年の間、機会の到来を待ったんだよ」
「僕はルールの試験で最高レベルとなるレベル3の試験を昨年2月にセントアンドリュースで受け、正解率は96%だった。そして、19年9月にデビッドが電話をくれ、職に空きが出たことを知らせてくれたんだ。僕はすぐに引き受けたよ」
選手から審判員へと転身を遂げるにあたり、プロゴルファーとしてのキャリアはアドバンテージになっていると語った。
「確実に助けとなっている。何かについて考えるとき、僕はかつての選手としての役割、そして審判員としての自分の役割と、常に2つの頭を使うんだ。これが良いんだよ。僕のチームでかつて選手だったのは、僕だけじゃないんだ」
審判員としての人生
ガルシア・ピントが9月に電話を受けてから時間は矢のように過ぎ、以来、彼は欧州ツアーとチャレンジツアーの計8大会に随行してきた。
彼が最初に赴いた大会は19年10月「スペインオープン」だったのだが、当初は公的な立場に慣れるのに2週間ほどかかったことを認めた。
「最初の2週間はちょっと奇妙な感じだったけれど、もうそれはないね」とガルシア・ピント。
「僕はプレーすることなくその場にいることを本当にエンジョイしている。僕はゲームを愛しているけれど、もうプロフェッショナルのゴルフをプレーする必要は感じていないんだ」
「単に審判をしているだけではなく、僕らは大会を運営する側の一部でもあるんだ。もちろん、審判をするときはコースに出るし、それはいつだって好む所であり、ルールの問題に関して選手たちを助けているのだけど、それ以外でも、ティタイムの管理や選手たちの要望を世話する仕事をこなすのも好きなんだ」
これからの自身にどのような未来が待っているかは分からないが、ケニア再訪は果たしたいと思っている。
「僕は今、自分がしていることをエンジョイしているけれど、折に触れて自分の勝利を思い出すし、来年は審判としてケニアへ戻りたいと思っているんだ」