ゴルフで知った米国人の「Winner takes all」精神
今月14日に実施された選挙人投票を経てなお、大統領選敗北を認めないドナルド・トランプ氏の往生際の悪さを見て、首をかしげる方も多いだろうが、私はあまり驚かない。というのも、こういう御仁がアメリカの白人エリート層に散見されるタイプであることを、ゴルフをともにすることで体感してきたからである。
アメリカは成功者を讃える国だ。その単純明快さが、世界中の才能をひきつけ、実際に成功したときの果実は桁違いである。一方で、日本ではちょっと想像もつかないような二極化の社会でもある。上場企業の社長と従業員の年俸格差は平均で300倍を超え、いわゆる庶民には、教育や医療など日本で基本的人権とみなされているサービスも行き渡らない。
こうした社会だから、エリートであれ、庶民であれ「勝つことこそが正義であり美徳だ。敗者には何も残らない」という「Winner takes all」の考え方は、アメリカ人の心身に深く染みついている。そんな“Winner takes all系アメリカ人”の性根を、ゴルフを通じて知ることはしばしばだった。
たとえば、30㎝でもOKを出さないなどは序の口で、私がスコアを申告すると、何やらいぶかしがる表情をするなど、様々な心理的陽動作戦を仕掛けてくることも織り込んでおく必要があるのだ。
トランプ大統領は、「マリガン」(mulligan、無罰打で打ち直すことができるという慣習)を納得いくショットが出るまで適用することで有名である(ちなみにネットで「マリガン」を検索するとクリントン元大統領の顔写真が出てくるが、同氏もまた有名とされる)。
さらにこの類のエリートは、ゲーム終盤の“産卵“にも注意が必要である。ロストボールをしたとき、人の目を盗んでボールをポトリ。日本人にもいないわけではないが、大抵は罪の意識からだろう、どぎまぎしてかえって結果が悪い。しかし、白人エリートは肝が据わっていて、チャンスはきちっとものにする。
ここで言いたいのは、彼らの「裏を見抜けなかったら負けて当然」と考える図太さ、勝負への執着心である。私たち日本人の「もはやこれまで」なんて言葉に代表される潔さは、美徳ではあるが、スポーツにしても交渉にしても、勝負事には不向きなメンタリティであることも知っておいて損はないだろう。(小林至・桜美林大学教授)