2024年 アジアパシフィックアマチュア選手権

「PGAツアーでアジア勢が活躍する時代が来る」 太平洋クラブがアマチュアに託す夢

2024/10/07 16:14
代表取締役社長の韓俊氏。富士山の見える御殿場コースは個人的にも「好き」

◇アジアパシフィックアマチュアゴルフ選手権 最終日(6日)◇太平洋クラブ御殿場コース(静岡)◇7217yd(パー70)

アジア太平洋地域のアマチュアナンバーワンを決める大会が日本で行われたのは2010年以来2度目。国の象徴である富士山の麓に広がる太平洋クラブ御殿場コースに、40の国と地域から120人が集い、来年の海外メジャー「マスターズ」と「全英オープン」出場をかけて争った。通常のトーナメントはもちろん、世界的にはオリンピックやワールドカップまで、大会誘致の裏側には“もうひとつのストーリー”があるもの。クラブの代表取締役社長・韓俊氏に開催にいたった経緯を聞いた。

「アジアアマを太平洋クラブでやりたい」。そう思うようになったのは7年も前のことだった。過去14回に渡り、舞台となってきたのは各国を代表するトップクラブばかり。創立53年になる名門コースは、次に日本で行われるときは…と機会をうかがっていた。国内開催が噂されるようになった21年ごろから大会運営に積極的に接触し、話し合いを続け、誘致が決まった。

大会理念との共通点もある。太平洋クラブでは、会員の子どもにゴルフの喜びを伝えるプログラムや、高校のジュニア大会「PGAジュニアゴルフ選手権」を開催するなど、若い世代へのゴルフの普及、ジュニアの育成に力を入れている。優勝すればアマチュアでオーガスタに足を踏み入れることのできるアジアアマは、「ジュニア世代に対するゴルフの提供という面で、トップの大会だと思っている」。“アマチュアが最も勝ちたい大会”に強く共感した。

各国から御殿場へギャラリーが集まった

これまでに多くの若手ゴルファーが大会を通じて海外に羽ばたいた。埼玉・霞ヶ関カンツリー倶楽部 西コースで行われた2010年大会を制した松山英樹は、まさに“理想のモデル”だ。当時18歳で大会を制した松山は、優勝者の資格で日本人アマとして初めてマスターズに出場。通算1アンダーの27位でローアマチュアに輝いた。そしてそれから10年後、松山はアジア勢として初めてオーガスタの頂点に立ち、グリーンジャケットに袖を通すこととなる。

太平洋クラブは18年にリース・ジョーンズ氏の設計、松山の監修で全面改修を行った。「松山選手が世界で唯一改修に携わったコースに、いまのアジアの選手たちを呼ぶというのは、また新たな物語になるんじゃないかと思った」。大会から再び新たなマスターズチャンピオンが登場すれば、筋書として最高だ。

ちなみに、松山と同じスポーツジムに通っているという韓氏。昨年末には“ばったり”会い、大会のことを話した。「松山選手からは『またあの大会が日本でできるなんて、自分もうれしいです』と言われました。“自分の監修したコースで”というのは言葉にはしませんでしたけど、そういう思いを込めて『御殿場で』と」。10代の松山が抱いた夢が、次の世代につながっていく。

2018年には松山英樹の監修で全面改修を行った

今年は今大会のほかに、4月に日欧共催競技「ISPS HANDA 欧州・日本どっちが勝つかトーナメント!」をホストし、11月には国内男子ツアー「三井住友VISA太平洋マスターズ」の舞台となる。“年間3試合”は未知の領域だが、開催に際してハードルが高かったのはコース管理の面だけではない。

権威ある大会ゆえ、主催するアジア太平洋ゴルフ連盟とオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ、R&Aからは多くを求められた。「大会を受け入れるというのは運営体制を問われる。試合以外にも2回の大きなパーティを催さなければならなかったり。それを担える人材がそろっているかが重要でした。太平洋クラブは会社として力があるので、応援にも来てもらって」。ほか2つのトーナメントも規模は大きいはずだが、「(アジアアマの運営は)比較にならないくらい大変でした(笑)」と苦労を振り返って笑う。数々の困難を乗り越え、開催が実現した。

3位だった中野麟太朗(早大)をはじめ、日本勢は出場10人中5人がトップ10入り。「大会を通じて確実にアジア全域のアマチュアのゴルフのレベルは上がっているなと思います。あと何年もしたら、米ツアーでアジア人が何人も上位にいる時代が来るなと」と青写真を描く。「彼らが将来、活躍するのが見たい。そしてプロになって、またここに帰ってきてほしい」。物語は終わらない。(静岡県御殿場市/合田拓斗)

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