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「やめなくて良かった」浅地洋佑 プロ8年目25歳の苦難の道

◇国内男子◇アジアパシフィックオープン選手権ダイヤモンドカップゴルフ 最終日(12日)◇総武カントリークラブ 総武コース (千葉)◇7327yd(パー71)

プロ8年目の浅地洋佑が、悲願のツアー初優勝を飾った。単独首位から1バーディ、2ボギーの「72」で回り、通算3アンダー。バックナインで後続との1打差を守り抜いた。25歳と若くとも、苦難に満ちたキャリアを象徴するような緊張感をねじ伏せ「苦しかった。本当によく頑張った。崩れずに良く耐えた」と自分をほめた。

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ウィニングパットはたくましくなったハートでねじ込んだ。最終18番、2mのパーパット。下りのラインを前に「体はむちゃくちゃ震えていた」というが、頭脳は冷静だった。1打リードの状況で「3パットが一番良くない。これが外れてもプレーオフだ」とタッチを重視した。フックラインを伝ったボールがカップに滑り込むと、声を上げてガッツポーズ。「ハーフターンしてから緊張していたのか、体が動かなかった」という重圧をはねのけた。

ジュニア時代から将来を嘱望され、中学卒業後の2009年に地元東京の杉並学院高に進んだ。2学年上にいたのがその年、現役高校生として賞金王になった石川遼。ともに関東で育ったふたりは小中学生時代からの仲で、浅地は、石川が「アプローチは僕よりうまい」と評すほどの“天才少年”だった。10年の「ダイヤモンドカップ」では高校2年生にしてローアマを獲得。翌11年末の最終予選会を11位で通過し、卒業後すぐにツアーに参戦した。

“鳴り物入り”で飛び込んだプロの世界は厳しかった。「みんなうまい…と思って。アマチュアのときに良い順位に入ったのはたまたま。毎週試合をしていたら、絶対に通用しない」と、すぐさま我に返ったという。シード喪失と復活を繰り返し、下部ツアーにも2017年までに40試合以上に出場した。レギュラーツアーでは同学年の川村昌弘が13年に初優勝し、16年に時松隆光が続いた。年下の選手にも先を越されるうちに、1Wショットでイップスになり、17年はパッティングで手が動かず、50㎝先のカップにボールが入らなくなった。

昨夏にPGAツアーで多くの選手が師事するパッティングコーチ、デイブ・ストックトンの指導書を熟読して手がかりを得たが、いまもイップス克服の道半ばにいるという。今週も予選2日間はグリーン上で手が固まるシーンがあった。

そんな“病”を受け入れながら、週末もプレー。最終日はアマチュアの米澤蓮(東北福祉大2年)、同じ最終組でプレーしたマイカ・ローレン・シンに迫られながら、何度もバンカーショットをピンにからめ、1m以内を確実に沈め続けた。「きょうは手もしっかり動きました」。14番(パー5)では6mの大きなフックラインを読み切ってパーセーブ。実に1パットパーが10回と、本来の持ち味と、プロ生活で向き合ってきた課題とがかみ合ったラウンドになった。「とにかくゴルフをやめなくて良かった」と思いが込み上げた。

出場選手の半分を外国人が占めた大会での優勝で、7月のメジャー最終戦「全英オープン」(北アイルランド・ロイヤルポートラッシュ)の出場権、そして日本とアジアンツアー両方のシード権を手にした。苦労してこじ開けた扉の先の世界は、とても大きい。(千葉県印西市/桂川洋一)

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