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フロム・センダイ(前編) 松山英樹とゆかりの地を歩く

先輩との”つながり”

2010年秋、大学1年時に「アジアアマチュア選手権」で優勝(翌年まで2連覇)した松山は11年4月に「マスターズ」に出場、アジア出身選手として初めてローアマチュアを獲得した。同年秋には国内ツアー「三井住友VISA太平洋マスターズ」で優勝。一気にスターダムにのし上がったが、その裏には先輩たちとの“つながり”があったと実感している。

「ツアー会場で、年が離れていても『福祉大です』って言うと、先輩後輩で一緒に回ろうかという話になる。アマチュアの時に先輩プロと一緒に回れるのは、今の選手もやっぱりラクだと思う。オレ、ラクだったもん。当然、緊張はするよ。でもマスターズに行ったときは(池田)勇太さんと一緒にご飯を食べて、練習もしてもらった」

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「VISAで勝った時は、タニさん(谷原秀人)と練習ラウンドを一緒に回ったんです。それこそ(試合前の)月曜日にルーク・ドナルドのこと、スイングのことを話したのを覚えている。タニさんにスイングを指摘されて『こういう感じですかね』なんて言っていたら、勝っちゃった。その時も予選ラウンドはシャール・シュワルツェルと勇太さんと同じ組だった。そういうつながりがあることは、本当に恵まれている」

仙台に帰る理由

「マスターズ」の行われるオーガスタナショナルGCを訪れた当時、松山は米国で“ただのスーパーアマチュア”という見方だけでは語られなかった。約1カ月前の3月11日、仙台は東日本大震災の被災地になった。あの瞬間、ゴルフ部はオーストラリア合宿の真っ最中。常夏の南半球で一日の練習を終えて部屋に戻ると、松山はテレビ画面に広がる光景にがく然とした。

帰国してからも愛媛の実家には戻らず、東京から東北を目指した。救援物資を乗せたバスに乗り込んで仙台に帰った。寮の外見は無事だったが、部屋の扉はゴルフクラブがつっかえ棒になっていて、全力でこじ開けるしかなかった。

「カップラーメンばかり食べていた。余震もあって。ずっと揺れている感じがした。コンビニに行ったら、モノが何もなかったんです」

冒頭で記述した通り、松山の住民票は今も仙台市にある。国外運転免許の更新など庶務をこなす際は役所に足を運ぶ必要がある。それでも、ここに“身を置く”のは確かに被災地に(莫大な)収入の一部を税金として納める意思がある、という見方もできる。ただ、本人は「それはあまり気にしないようにしている感じです」と言う。

「ここで大学4年間、お世話になった。ただ、好きな街だし。愛媛に帰ってもいいけど、練習くらいしかやることがないし(笑)。なんとなく、こっちの方が来やすいんです。小さい頃にお世話になった方がたくさんいる実家からは離れてしまったけど。今でも大学の練習場やトレーニング施設を使わせてもらえるのもありがたい。それに…ごはんも食べに行きやすい。これは言ってイイのか分からないけれど…お店で他のお客さんがそっとしておいてくださるのもありがたい(笑)。住んでいる方の“県民性”なのかなあ」

トップアスリートの競技場以外での生活はなかなか大変なところもある。こういう極度の人見知りである場合は特に…。「とにかく、いろんなところに今でも行きやすいというのは間違いないんです」

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後輩たちへの視線

2018年は国内外で優勝がなかった。16年に2位まで引き上げた世界ランキングは20位台に後退した。厳しかった一年を「自分がやっていることへの手応えと、成績がまったくマッチしなくてすごくしんどかった」と振り返る。

「1月、2月でだいぶ思い通りにスイングができるようになって、(2月)『ウェイストマネジメント フェニックスオープン』のときに結構スイングが良くなり始めたなと思っていた。初日もケガしながらも、良いスコアで回っていた。パターも入っていて、行けるかなと思っていた。でもそこから離脱して…。3月に戻ったけれど、ケガの影響で“その感覚”がなくなったというのが大きい」

日本のファンが待ちに待った秋の日本ツアー出場も2試合ともにタイトルからはほど遠かった。

「自分の状態がすごく悪かった。それでも、悪くてもトップ10くらいは行けると思っていたんですけどね。まあ、そう高をくくっている時点でダメ。勝てない時点で、明らかに実力が落ちているわけだし。まずは日本に帰ってきて勝っていく力を戻さなきゃいけないなと」

一方で東北福祉大の後輩たちに目を向けると、少しずつトップレベルで活躍する名前が台頭し始めた年でもあった。1学年下の佐藤大平が下部AbemaTVツアーの賞金王となり、今年プロ1年目の比嘉一貴はわずか9試合で来季のレギュラーツアーのシード権を獲得した。そして在校生の金谷拓実(2年)が松山以来、7年ぶりに「アジアパシフィックアマ」を制し、来年一緒に「マスターズ」に出場する。

「みんなびっくりしたなあ。(彼らがそれぞれ)次のステップを踏んだんだなと、すごく思いました。オレが言ったことが少しでもプラスになっていればうれしいけれど、彼らはいろんな人からの助言があって、自分たちで何かを見つけて、うまくなっているはず。自分は今まではどっちかというと“先輩に勝ちたい”という思いばかりがあった。後輩たちがオレに対してそういう風に思ってくれていたらうれしいです」

米国でどこか孤高のイメージが付きまとうようになった松山の顔は、仙台でクルクルと変わった。校内やなじみの店で気さくに笑い合ったり、先輩の前で何度も背筋を伸ばしたり。そして緊張気味の現役部員や後輩プロを前に、威勢が良くなったり…

「先輩に負けたくないという気持ちでやってきた。けれど、後輩にはもっと負けたくないと思うよね」

第二の故郷はいま、松山英樹にとってさらなる成長を促す場所にもなりつつある。(編集部・桂川洋一)

桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール

1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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