2021/01/24

ゴルフきょうは何の日<1月24日>

1947年 ジャンボ尾崎生誕(74歳) “ジャンボ”こと尾崎将司がゴルフを始めたのは21歳のとき。徳島・海南高では野球部のエースとして1964年の選抜高校野球大会を制覇。翌年にプロ野球の西鉄
2021/01/02

ゴルフきょうは何の日<1月2日>

2012年 青木功、尾崎将司らを育てた林由郎氏が死去 日本プロ4勝、日本オープン2勝など通算12勝を誇る林由郎氏が老衰のため、茨城県内で死去した。89歳だった。 1922年1月27日生まれ。小学校を
2020/12/25

ゴルフきょうは何の日<12月25日>

いただけてすごく興奮しています。心から名誉に思います。これからもできるだけ多くのチャンスをものにしていきたい」と話した。 プロゴルファーの受賞は尾崎将司が受賞した1996年以来。石川はプロ1年目ながら史上最年少となる獲得賞金…
2020/12/16

ゴルフきょうは何の日<12月16日>

初のメジャー覇者となった井戸木鴻樹には特別賞を授与。尾崎将司も青木らとともにプレーヤー部門に選出されていたが、本人からの強い意思により見送られた。 翌14年には同部門で永久シード選手の故杉原輝雄と、日
2020/12/10JLPGA新人戦

師匠ジャンボからゲキ 西郷真央「ボロボロやないかと」

(約1771万円)に終わった。 師匠でもある男子プロの“ジャンボ”こと尾崎将司へシーズンの報告に行くと、ジャンボからは「ボロボロになっているやないか。良かったときの調子を思い返してできるようになれ」と
2020/12/06

ゴルフきょうは何の日<12月6日>

の国内ツアー復帰を決断したが、ある意味、失意の中での国内ツアー参戦だった。 石川遼は「66」でプレーし、通算3オーバー19位。シーズン4勝を挙げた18歳が賞金王に輝いた。尾崎将司が1973年に記録した26歳での最年少賞金王記…
2020/12/03日本シリーズJTカップ

コロナ禍で浮上した男子ツアー「連続V記録」の行方

◇国内男子◇ゴルフ日本シリーズJTカップ 事前(2日)◇東京よみうりカントリークラブ(東京)◇7023yd(パー70) 日本ゴルフ界に燦然と輝く“ジャンボ”こと尾崎将司の偉業の中に15年連続優勝
2020/12/01

ゴルフきょうは何の日<12月1日>

6781円となり、続く最終戦「ゴルフ日本シリーズJTカップ」を待たずして賞金王が決定した。 年間で2億円を超えたのは1994年、96年の尾崎将司、2001年の伊澤利光以来だったが、到達までにかかった試合数は
2020/11/19

ゴルフきょうは何の日<11月19日>

をしてきたけど、日本のファンはその中でも最高だ。選手たちを尊敬しているし、良いショットを称えてくれる。たぶん、イギリスに次いでゴルフの知識もあると思う」とし、19年大会にも出場した。尾崎将司に並ぶ大会3連覇とならなかったが、…
2020/11/17

ゴルフきょうは何の日<11月17日>

スタートした尾崎将司を逆転してツアー初優勝。そこから勝利を重ねるも、3年前の2010年に肩痛を発症して「自分の納得いくショットができていなかった。飛距離も落ちた」と苦しんだ。 そんな辛い時期の中でも平均パット部門でトップの成…
2020/11/16優勝セッティング

ダンロップ育ちの香妻陣一朗 次戦ホスト大会に“凱旋”

フェニックス」は地元九州、そして用具契約を結ぶ住友ゴム工業の主催大会。「ホストプロなので来週も良いプレーができれば。優勝を目指したい」。尾崎将司、中嶋常幸、セベ・バレステロス(スペイン)、グレッグ
2020/10/16中古ギア情報

メジャーを制した原英莉花のクラブを中古でチェック

「日本女子オープン」史上最長コースを、持ち前の飛距離を生かして制した原英莉花。クラブに造詣が深い尾崎将司を師匠に持ち、クラブにも“ジャンボイズム”が反映されている。その優勝セッティングを中古ショップ
2020/10/15

ゴルフきょうは何の日<10月15日>

ていたそう。 今大会で尾崎以外に連覇を達成したのは中嶋常幸(1985年、86年/90年、91年)、尾崎将司(88年、89年)、スペインのセベ・バレステロス(77年、78年)、宮本留吉(29年、30年)。
2020/10/14

ゴルフきょうは何の日<10月14日>

功、尾崎将司、中嶋常幸、杉原輝雄、倉本昌弘、尾崎直道に続き、史上7人目の永久シード獲得選手となった。 大会終了後のインタビューで、「実は今週、プロになってすぐの1998年に書いた日記を持ってきたんです
2020/10/13

ゴルフきょうは何の日<10月13日>

プレー。通算3アンダーで念願のタイトルを獲得。国内4大メジャーを制覇し、グランドスラムを達成した。当時30歳だった。 翌86年の「日本オープン」では、青木功、尾崎将司との死闘に競り勝ち、日本人では50年