2018/01/25米国男子

E.エルスが「ゼクシオ」のグローバルアンバサダーに

住友ゴム工業は24日、メジャー4勝を含む世界通算70勝以上を挙げるアーニーエルス(南アフリカ)が、同社ゼクシオ(XXIO)ブランドのグローバルアンバサダーに就任したことを発表した。 エルスは(同社…
2003/04/21米国男子

ザ・ヘリテージ上位コメント/E.エルスほか

アーニーエルス(10位タイ) 「パットはさほど調子が良くなかったけれど、フェアウェイをキープしていたし、グリーンもとらえていたのでプレー自体は満足している。完全に自分のプレーをコントロールできて
2007/08/08米国男子

「全米プロゴルフ選手権」初勝利を狙うアーニー・エルス

メジャー通算3勝を誇る南アフリカの雄、アーニーエルスも、今週末に開催される「全米プロゴルフ選手権」のタイトルは無し。是が非でも欲しいビッグタイトル、今大会にかけるその意気込みを聞いた。 アーニー
2005/12/05米国男子

アーニー・エルスの復帰初戦は9位フィニッシュ!

7月末に膝を痛め、全英オープンから休んでいたアーニーエルス(南アフリカ)が母国の特別招待試合ネッドバンク ゴルフチャレンジに参戦した。出場選手は僅か12名、予選落ちなしのこの大会。4ヵ月半の…
2007/12/09欧州男子

優勝候補筆頭、E.エルスが単独首位に立つ!

南アフリカのレオパードクリークGCで開催されている、2008年の欧州ツアー第5戦「アルフレッドダンヒル選手権」の3 日目。アーニーエルス(南アフリカ)が爆発し、単独首位に躍り出た。 首位から3打差…
2002/07/24ニュース

優勝者のクラブ(E.エルス、金美賢)

アーニーエルス:メジャー第131回「全英オープン」優勝 ドライバー:テーラーメイド 510 (8.5度) ウッド :テーラーメイド ファイヤーソール(3番) アイアン:テーラーメイド X300
2004/12/30米国男子

2004年を振りかえる/アーニー・エルス編

2004年欧州PGAツアーの賞金王、PGAツアーでも賞金ランキング2位と文句無しの素晴らしいシーズンを過ごしたはずのアーニーエルス。しかしエルスにとっては悔しさの残るシーズンだったに違いない…
2004/07/19米国男子

アーニー・エルスこれで通算6度目の準優勝

今季メジャー第3戦を終えて、全てトップ10入りを果たしているのはアーニーエルス(マスターズ2位、全米9位タイ、全英2位)とフィル・ミケルソン(マスターズ優勝、全米2位、全英3位)の2人だけ…
2004/12/11欧州男子

E.エルスまさかの失速!首位はP.グスタフソン

南アフリカにあるレオパードクリークGCで開催されている、2005年欧州ツアー第3戦「ダンヒル選手権」の2日目。大会初日、首位と1打差の2位につけていたアーニーエルスだったが、この日は苦しい展開と…
2003/01/13米国男子

31アンダー、ツアー記録とともにE.エルスが開幕戦を制した

ハワイマウイ島で開催された、米国男子ツアーの開幕戦「メルセデス選手権」は、南アフリカのアーニーエルスが通算31アンダーで優勝を飾った。初日首位タイでスタートしたエルスは、4日間スコアを伸ばし続けた…
2005/12/13欧州男子

E.エルスの2週連続優勝なるか!

最終日猛チャージを見せ、3年振りの優勝を飾った。 また、7月末に膝を痛め、「全英オープン」から休んでいたアーニーエルス(南アフリカ)が参戦。前週の「ダンヒル選手権」で復帰後公式戦初参加で優勝を飾っているだけに、2週連続優勝に注目が集まる。
2003/02/04欧州男子

誰も止められない!?E.エルス7戦5勝

なかったという内容であった。 連勝街道の始まりである2002年10月の欧州PGAツアー「シスコ世界マッチプレー選手権」での優勝時、エルスは決して絶好調とはいえなかった。 アーニーエルス(2002年シスコ…
2007/03/03米国男子

アーニー・エルスの契約先がキャロウェイに決まる!

キャロウェイゴルフは2月28日(水)、メジャー3勝を挙げているアーニーエルス(南アフリカ)と用品契約を締結したと発表した。契約年数は明かされていない。 エルスはこれまでタイトリストと用品契約を…
2004/02/03欧州男子

アーニー・エルスの大会3連覇となるか

アーニーエルスがエントリー。今季米国ツアー「ソニーオープン」で連覇を達成するなど、強さを見せつけている。先週「ジョニーウォーカークラシック」では、初日出遅れるものの終わってみれば10位と底力を発揮。エルス
2002/08/01米国男子

ジ・インターナショナルには特別の想い:E.エルス

アーニーエルス 「今回はメジャーチャンピオンとして胸を張ってこの大会に乗り込めて嬉しいよ。この大会には恩義を感じているんだ。91年はまだプロになった翌年で、誰も僕のことを知らなかった。そんな時