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2015年 クイッケンローンズ・ナショナル
期間:07/30〜08/02 場所:ロバートトレントジョーンズGC(ヴァージニア州)

<選手名鑑167>スコット・ピアシー

■ 賞金2億4千万円を手にした生粋のハスラー

ラスベガスで行われるアルティメート・ゲームは究極のギャンブルゴルフと言われている。このイベントはカジノやホテルの経営で知られる、“ミスター・ラスベガス”、スティーブ・ウィンの主催だ。優勝者には200万ドル(約2億4千万円)が支払われるという、ラスベガスならではの一攫千金試合である。メジャーやPGAツアーの試合も高額賞金になったが、アルティメート・ゲームはエントリーフィが尋常ではない。40人の枠で参加者は1人5万ドル(約600万円)が必要で、参加者は一攫千金か5万ドルを失うかの究極のプレーなのだ。

予選で12人に絞り込み、決勝は2日間36ホールのストロークプレーで争われる。予選落ちした28人は、その時点で5万ドルが泡と消える。通過者12人は最低10万ドル(約1200万円)の賞金が保証され、優勝すれば2億4千万円を手にできるのだ。挑戦者の多くは後援者からの投資をエントリーフィに充て、賞金を獲得すれば上乗せして返済し、稼げなければ借金になる場合が多い。時に人生まで変えるかもしれない究極のギャンブルなのだ。

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当時ミニツアーを転戦していたスコット・ピアシーは、年間の獲得賞金が2万5千ドル程度と、なかなか芽のでない状況で、現状打破のために参加を決めた。エントリーフィの出資者は父親で、大切な父の金を失うわけにはいかず、ド根性でプレーして予選を突破した。まずは1200万円を確保し、いよいよ優勝にフォーカスし最高額の賞金に挑んだ。

決勝に残った顔ぶれを振り返ると驚くばかりだ。2度の心臓移植手術を受け、昨年の「全米オープン」で2位タイになった奇跡のプロゴルファー、エリック・コンプトンと、17歳でプロ転向したばかりのトニー・フィナウ(現在PGAツアーのルーキーとして活躍)、当時PGAツアーを目指していたケビン・ストリールマンもいた。彼は同年のQスクールに合格し、2008年にルーキーとしてPGAツアーに参戦した。2013年、2014年と2勝を挙げ、今年の「マスターズ」では12位タイと、メジャー優勝を狙う選手に成長した。

ツワモノが勢揃いした決勝戦最終日、ピアシーは最後の7ホールで5バーディを奪い、「65」をマークして、究極のゲームを制した。ピアシーは「ここまで強烈なプレッシャーを背負いプレーしたのは初めてだった」と振り返った。

PGAツアーのシード権獲得は極めて難しいが、晴れてメンバーになれば試合への出場は1回150ドル(手続き費100ドル+ロッカー使用料50ドル)で、ミリオンの賞金を狙うことができる。高額の身銭を切っての挑戦と成功は、ピアシーに大きな自信を与えたのだった。

■ 骨まで“ベガス”の男

ピアシーは1978年11月6日、ネバダ州のラスベガスで生まれた。高校を卒業するまではゴルフとサッカーに夢中になり、両競技ともに全米大会に出場する選手だった。サッカーは州大会で2度の優勝を果たしたが、彼はモルモン教徒であり、サッカーではなくゴルフのキャリアが評価されて、モルモン教系でゴルフの名門ブリンガムヤング大学に進学することになった。1年間在籍した後、行政学を学ぶためカリフォルニア州のサンディエゴ州立大学に転校。残りの3年間はゴルフと勉学に打ち込み、行政学の学士を取得して2001年に卒業した。

その直後にプロ転向を果たした。カレッジゴルフを経験してプロになった選手は、大学の所在地近くに留まり、拠点にするケースが多いが、ピアシーは生まれ育った故郷ラスベガスに戻り、ミニツアー転戦を開始。ラスベガスは大切な故郷、友人や協力者も多く、最も快適に過ごせるからというのが、その理由だった。

またラスベガスはゴルフの環境が良いことも理由だった。降雨量が少なく、年間平均300日以上が晴れという気候の中、質の高いゴルフ場も増え、思う存分練習もできる。著名コーチのブッチ・ハーモンもラスベガスに指導施設を持ち、居を構えている。ピアシーは結婚後、3人の子供に恵まれ、アリゾナ州にも家を持ったが、大半を過ごすのは愛するラスベガス。ベガスから離れられない“ベガス”の男だ。

2001年のプロ転向当時、「どのツアーの出場権もないが、最も才能ある若手」と評価されミニツアーを転戦した。ようやく2008年にウェブドットコムツアーの出場権を獲得。ここからピアシーは劇的に変身した。8月の「ウィチタ・オープン」で22アンダーの大会新記録で同ツアー初優勝。翌週の「ペンシルベニア・クラシック」でも、最終日「64」をマークして逆転し、2週連続優勝を飾った。賞金ランク9位で2009年のPGAツアー出場権を掌中にし、念願のフル参戦が始まった。

■ 猛攻とヘビーショットで4つの記録を樹立

ピアシーゴルフの特徴は“猛攻”と“飛ばし”だ。2008年のウェブドットコムツアーでは、平均飛距離307.7ydで3位、バーディ奪取は2位。PGAツアーでもルーキーの2009年は300.6ydで12位、2012年までの4年間、トップ20位以内をキープした。最高位は2011年の7位で、305ydだった。昨年は負傷で試合数が足りず、順位の対象にならなかったが、平均304yd。今季は296yd(7月第3週現在)で38位だが、シーズン終了時には上位に顔を出しているはずだ。

ゆったりしたスイングリズムは、ダウンからインパクトにかけ、徐々に加速させるようなテンポで、すべてのパワーをボールに注入する。インパクトの瞬間は息をのむような迫力で、炸裂系の打球音や重い弾道はヘビー級そのものだ。

パワーゲームを展開し、PGAツアーで4つの記録を樹立している。1つ目はツアー3年目の2011年7月、ユタ州で開催の「リノタホオープン」でコースレコードの「61」をマークしてツアー初優勝。2つ目は2012年3月の「トランジションズ選手権」最終日、前半9ホールで「29」の最少記録をマークした。その日は「62」でまわり、45位から5位に急浮上した。3つ目は、同年7月の「カナディアンオープン」初日、コースレコードタイの「62」をマークして2勝目。4つ目は今季4月の「シェルヒューストンオープン」初日、「63」のコースレコードタイ記録となった。これはアダム・スコットジョンソン・ワグナー(2008年)、ジミー・ウォーカーフィル・ミケルソン(2011年)以来、5人目となった。ピアシーはコンスタントに上位というタイプではないが、噛み合いはじめると急加速して、一気にリーダーボードを駆け上がる。

■ アラバマで復活の3勝目

右ひじに違和感が出始めたのは2013年5月の「バイロン・ネルソンクラシック」だった。違和感は痛みに変わり、遂に昨年の「WGCマッチプレー選手権」を初日で棄権した。検査の結果、原因は浅指屈筋の断裂。物を握る時に使う筋肉で、腕から指まで痛みが走ると言う。棄権直後、オハイオ州にあるクリーブランドクリニックのトーマス・グラハム医師の執刀で手術を行い、5か月のリハビリを経て、7月に復帰した。公傷制度で今季は14試合で200ポイント以上獲得すれば、前季の125位以内のポイントに相当し、シード権を獲得できる。今年1月の「ソニーオープンin Hawaii」で単独2位になり、300ポイントを獲得。早々にシード権を確定させた。さらに2週前の「バーバゾル選手権」の最終日を「65」とし、2位に3打差をつけて優勝し通算3勝目をマークした。最後までピアシーらしい猛攻を貫いての見事な復活劇。猛暑のアラバマで汗だくになりながら熱いプレーを披露し、4勝目への自信がみなぎる。

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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