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2015年 ジョンディアクラシック
期間:07/09〜07/12 場所:TPCディアラン(イリノイ州)

<選手名鑑164>ルーク・ガスリー

■ イリノイ州+アイオワ州 ツアーで唯一の2州協力開催

今大会は1972年「クオッドシティオープン」として始まり、今年で43年目を迎える。大会名が何度か変わり、99年から地元大手の農機具メーカー「ジョンディア」が冠スポンサーとなり大会を盛り上げてきた。また99年には、PGAツアー史上初めて、キャディのショートパンツ着用が認められ、この大会から施行された。酷暑下でスラックスを着用し重いバッグを担ぐのは命の危険さえあったが、キャディたちは快適、安全に仕事ができるようになった。

最初の大会名クオッドシティは、4つの街という意味で、イリノイ州のモリーン市とロックアイランド市、ミシシッピ河を挟んで北側のアイオワ州のベテンフォード市とダベンポート市のことを差す。ツアーで唯一、2州にまたがる大会だ。地域密着型でスティーブ・ストリッカー(イリノイ州出身)と、ザック・ジョンソン(アイオワ州)はデビュー当時から大会を盛り上げようと奮闘してきた。

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■ 目指せ!ローカルヒーロー

ストリッカーは48歳、ジョンソンは39歳。バトンを託す次世代のひとりが25歳のルーク・ガスリーだ。生まれも育ちも、出身大学、在住もイリノイ州という生粋のイリノイサン(Illinoisan)である。1990年1月31日、西部ミシシッピ川岸のクインシーで誕生。父デニスは大手食品メーカー勤務で、いつも家にはお菓子や飲料がたくさんあり、おやつに困ったことがなかったそうだ。地元の高校からイリノイ大学に奨学生として進学。同大学はパブリックアイビー(名門公立大学)でノーベル賞授賞者を11人も輩出している有名校だ。

ゴルフ部に入部、兄ザックが副コーチのため兄弟二人三脚で実績を積んできた。1年先輩にはスコット・ラングレーがいて、ガスリーは大いに影響を受け成長した。ラングレーは米国のゴルフ団体が協力し、世界規模の団体となったジュニア育成プログラム「ファースト・ティ」の出身でゴルフのみならず人柄や勉学にも優れ、大学でアカデミック・オールアメリカンに選ばれた。ガスリーはラングレーとルームメートでもあり、大学寮で寝食をともにしながら背中を追った。ゴルフ部の団結や士気は高く、ガスリーが2年生の2010年、全米学生選手権で劇的優勝した。そして二人は憧れのPGAツアーに舞台を移し、初優勝を目指して切磋琢磨し、溢れるイリノイ愛で地元大会を盛り上げようと頑張っている。

■ ニックネームはT-Rex(恐竜)

ガスリーは名字から「Guth」(ガス)が愛称だが、もうひとつ大学時代からのニックネームがある。ジュラシックパークなどで知られる肉食恐竜ティラノサウルスの通称「ティーレックス」だ。その理由はガスリーのウィングスパン(両腕を翼のように左右に広げた時の全長)がやや短く、巨体に似合わず極端に腕の短い恐竜のようだから。スイングコーチのマイク・アダムスはガスリーの指導にあたり、あらゆる情報を確認する中で、ウィングスパンを計測。すると183cmの身長に対し、3cm短い180センチだった。

バスケットボールやボクシングの選手にとっては重要な身体条件だが、ゴルフではあまり重要視されない。ガスリーにとっては初の計測でその時初めて自身のリーチが短いことを知ったそうだ。一般的に欧米人のウィングスパンは身長とほぼ同じか少し長いと言われている。バスケットボールの選手は長く、約1割か、それ以上長いスーパーリーチのプレーヤーも珍しくない。セネガル出身で、現在米大学バスケットリーグで活躍する21歳のママドゥ・ンジャエは身長2m29cmで、リーチが2m51cmで話題になった。だがガスリーはリーチの短さを気にする必要はない。バスケットの神様マイケル・ジョーダンは身長198cmでリーチは2m10cmと、NBAの世界では長くはなかったが大活躍し歴史を築いた。ガスリーも飛距離がある方ではないが、得意技と攻略を最大限に駆使し、存在感をアピールしている。

■ ストリッカーの秘蔵っ子

2012年に大学を卒業し、同年6月にプロ転向を果たした。テネシー州メンフィス開催の「フェデックス セントジュードクラシック」でPGAツアー初出場を果たし、19位の好結果。2試合目は地元開催の「ジョンディアクラシック」だった。練習ラウンドでは大学の先輩ストリッカーから細部に渡るコース情報を聞くなど、貴重な助言を授かった。キャディは兄のザックが担い、完璧な体制で本戦へ。ガスリーは期待に応え、最終日に「64」をマークし、通算16アンダーで、一気に5位浮上。優勝ザック・ジョンソンに4打差、恩人ストリッカーと同順位でフィニッシュした。

当時はまだPGAツアーの出場権がなく下部ウェブドットコムツアーに推薦、またはマンデークオリファイを突破し出場していた。その初戦となった7月の下部試合「ネーションワイド招待」でベン・コールズとのプレーオフに敗退も2位。8月は3試合プレーし、全てトップ10入り。9月には「ボイシーオープン」、「WNBゴルフクラシック」と2連勝を飾った。途中参戦もわずか10試合で2勝、トップ10に6回、賞金ランク2位の大躍進で、翌13年のPGAツアーシード権を瞬く間に確定させた。

ストリッカーは数年前から負傷や家庭の事情で出場試合を極端に減らしたため、出場しない時はエースキャディのトニー・ジョンストンをガスリーに投入した。敏腕ジョンストンもガスリーの才能に惚れこみ、熱心にバックアップすると約束した。その効果はすぐに現れ、1年目は3月の「ザ・ホンダクラシック」で3位、5月の「チューリッヒクラシック」では8位に入り、ポイントランク90位で、翌年のシード権を獲得した。

■ 火花散らすライバル イリノイ大学VSジョージア大学

ルーキーイヤーでシード権を獲得してホッとしたものの、悔しい出来事が続いた。絶対に負けられないライバルたちが次々と初優勝を挙げたのだ。母校イリノイ大学とジョージア大学はライバルで、ガスリーの在学中は「全米学生選手権」の優勝候補の双璧だった。イリノイ大の中心的存在は、ガスリーとラングレー。対するジョージア大はラッセル・ヘンリーハリス・イングリッシュ。その4人はPGAツアーでも火花を散らしている。

イングリッシュは1年早い2012年にPGAツアーのシード権を獲得しフル参加。ヘンリーとは同年にウェブドットコムツアーで戦い、賞金ランクはガスリーが2位、ヘンリーが3位で上だった。ラングリーを加え3人は13年がルーキーイヤー。初戦となった「ソニーオープン in Hawaii」で、ヘンリーがツアー初出場にして初優勝を飾った。イングリッシュも6月の「フェデックス セントジュードクラシック」で初優勝し、ジョージア大学出身の2人が先行した。さらにイングリッシュは同年10月の「OHLクラシックatマヤコバ」で2勝目、年が明け、3月の「ザ・ホンダクラシック」でヘンリーが2勝目と、順調にキャリアを積んでいる。だが、若手イリノイ勢の実力も折り紙つき。このまま沈黙を続けるはずはない。逆襲を虎視眈々と狙い、そのきっかけが地元初優勝となれば最高だ。

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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