<佐渡充高の選手名鑑 121>チャーリー・ホフマン
■ トレードマークの長髪をバッサリ!
昨年までチャーリー・ホフマン(37)と言えば長髪、ブロンドでゆるめのカーリーヘアーだった。髪を伸ばし始めたのはPGAツアーのルーキー年2007年から6年間。しかし、今年からその髪をバッサリ切って、最初は誰だかわからないほどの変身を遂げた。
そもそもロングヘアーにした理由をこう語る。「僕は特に特徴も個性もなく、何とかツアーで注目してもらおうと思いついたのがヘアスタイルだった」。遠くからでもヘアスタイルですぐに彼だとわかりイメージ戦略は成功。なのに、なぜ髪を切ったのか?「理由は簡単。夏は暑いし、乾かすのに時間がかかるし手入れが面倒になったから」だと言う。断髪といえば、一大決心とか失恋などのイメージがあったので、拍子抜けするほどの普通の答えが、彼らしくてホッとした。
長髪の選手といえば、まず思い浮かぶのはポニーテールのミゲル・アンヘル・ヒメネスだ。際立つ個性とプレースタイルはグリーン上のアーティストのよう。5月3日の挙式(再婚)のタキシード姿の時は、ポニーテールを解き髪を風になびかせキメていた。かつてドイツのアレックス・チェイカもポニーテールだった。1989年のプロ転向後に何となく雰囲気で伸ばし始め、トレードマークとして定着していった。転機は1995年。コーチと「もし自分が優勝したら髪を切る」と賭けをし、喜ばしいことに優勝を果たした。約束通りバッサリと髪を切ると、その後2勝と勝利数を重ね、通算3勝。以降、髪を伸ばすことはなくなった。
フランク・リックライターも長髪だったが、1997年に突如五分刈りで登場し周囲を驚かせた。アトランタのバーで起こした喧嘩が原因で訴訟になり、裁判官の心証を良くするため断髪したそうだ。最近ではツアー4年目のリチャード・リーが髪を伸ばし始め、肩にかかるほどの長さに。ホフマンの後継者?と呼ばれる日も近いかもしれない。
■ サンディエゴの天才少年 史上最年少16歳でPGAツアー出場
ホフマンは1976年12月27日、カリフォルニア州サンディエゴで生まれた。ジュニア時代、地元ではゴルフの“天才少年”と言われることも度々。カリフォルニア州の高校生チャンピオンシップで2連覇、地元開催のPGAツアー「ファーマーズ・インシュランス」に16歳で最年少出場を果たすなど、この年少出場記録は現在も破られていない。
プロになってからは身長180センチ、体重93キロの体型を生かし、飛距離、爆発力が魅力のプレーで人気を集めた。初優勝の2007年「ヒュマナチャレンジ」の時からパワー全開だった。プレーオフで飛ばし屋のジョン・ロリンズとのプレーオフになり、両雄のスーパードライブ炸裂の一騎打ちは迫力満点だった。2勝目を挙げた2010年「ドイツバンク選手権」では、最終日にコースレコードタイ記録の「62」と大爆発し、大会記録の22アンダーまで伸ばして鮮やかな大逆転優勝を飾った。昨年6月の「トラベラーズ選手権」でも大会2日目に「61」をマークして一気に優勝戦線に加わった。勝利こそ逃したものの「一撃のホフマン」の本領発揮だった。
■ 大学の後輩アダム・スコットに刺激
ジュニア時代の活躍が評価され、ゴルフの名門ネバダ大学ラスベガス校へ奨学生として進学した。入学時は3年生にクリス・ライリー、チャド・キャンベルら学生ゴルフ界のスター選手がいた。1998年、ホフマンが4年の時にアダム・スコットが新入生として入学。その年は、スコットの活躍もあり、ネバダ大学は全米ナンバーワンに輝いた。チームはスクールカラーの真っ赤なシャツで喜びをあらわすと、ホフマンは両腕をポパイのようにして派手なガッツポーズ、一方のスコットはその背後で穏やかに微笑んでいて、彼らの性格を現しているかのようだった。
ホフマンにとってスコットのゴルフは衝撃的で、学生最高の栄誉とともに、忘れられない存在になった。スコットは大学を中退し、ホフマンと同じ2000年にプロ転向。ホフマンにとってチームの後輩はライバルになり、常に意識する相手になった。スコットが昨年オーストラリア人として初めて「マスターズ」を制した時は、「よし、次は俺の番だ!」と武者震いがしたという。ホフマンは2010年以降、未勝利は続いているが、スコット効果でたびたび優勝争いに絡む活躍をみせている。愛用のボールマークに刻まれた文字は「WIN」。3勝目への意識はますます強くなっている。