「仕事も家庭も大切に」を地で行くC.ライリー
By Doug Milne, PGATOUR.COM
一回りして最初に戻ることが、夕日へと向かう直線のようにシンプルなこともある。
クリス・ライリーは、UNLV(ネバダ大学ラスベガス校)で4年連続オールアメリカンに選出された最初のスポーツ選手になった。それから間もない90年代初め、ライリーは、兄のケビンとともに低料金のモーテルを借りて暮らし、ウェブドットコムツアーでの居場所を見つけようとしていた。長い間その生活を続けた後、ケビンは家族のためにゴルフを断念。兄の決断はクリスにとって、その後のゴルフ人生への予言的な出来事になった。
2002年の「全米プロゴルフ選手権」で3位に入ってから1週間後、クリスはここモントルーG&CCでの「バラクーダ選手権(当時の大会名は「リノタホオープン」)」で優勝した。ライリーがPGAツアーで優勝したのは今のところ、この1回だけだ。当時は家で祝福してくれる妻も子供もいなかったが、後にすべてが変わった。
リノでの勝利から2年後、ライリーは2004年の「ライダーカップ」に参戦した。同じ月、妻のミシェルとの間に長女が誕生した。ライリーの人生はしっかりと形になり始めていた。2005年から2010年の間、ライリーは家にいて試合に出ないよりも、コースで満足のいかない成績を残している方が落ち着くことに気が付く。“家”というのは、自分の心があるところだった。
だが2010年シーズンの終り、クリス・ライリーは10年以上前に兄ケビンがしたのと同じことをした。彼はゴルフから去り、夫と父親業に専念したのだ。ライリーがこれに後悔しているかといえば、答えは「ノー」。試合で味わうスリルを恋しく思ったりはしないのか?娘たちとの“競争”に比べれば、そうではないようだ。
ゴルフで1,200万ドル(約12億円)以上を稼いだライリーは、いろんな意味で振り出しに戻ってきた。
今週、自身にとって唯一のPGAツアー優勝の地、モントルーG&CCに再び立った。初日に6ポイントを獲得したが、2日目で1ポイントと後退し、決勝ラウンド進出を逃した。だがライリーはそれでも満足だ。自宅で家族と一緒に過ごす週末は、これからもずっと最高の栄誉となるだろう。