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2018年 マスターズ
期間:04/05〜04/08 場所:オーガスタナショナルGC(ジョージア州)

三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

きょうは歴史が変わる日だ タイガー・ウッズ「マスターズ」初制覇の衝撃/ゴルフ昔ばなし

2018年の「マスターズ」は、いよいよ今週5日(木)に開幕します。多くの見どころが詰まった今年のオーガスタナショナルGC。中でも故障からの完全復活を目指すタイガー・ウッズに大きな注目が集まります。ウッズが初めてマスターズを制したのは1997年。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏の対談連載は「21年前の衝撃」に迫ります。

■ 97年の衝撃は偶然ではなかった

タイガー・ウッズは1995年大会でローアマチュアを獲得。1996年8月にプロ転向し、米ツアー「ラスベガス招待」で初優勝。さらに1勝してルーキーイヤーを終えました。「マスターズ」初優勝はその翌年の春になります。

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宮本 僕は当時アメリカに住んでいて、スーパースターが誕生する瞬間を目の当たりにできました。国を代表するアスリートとしてモハメド・アリ、ジョー・モンタナ、マイケル・ジョーダンといった選手に続いた存在だった。スタンフォード大時代には「全米アマチュア選手権」を3連覇。1996年はシーズン終盤にプロ転向しながら、2勝してシーズン最終戦にも出場してしまった。年明けの「メルセデス選手権」で優勝し、プロゴルフの話題はウッズ一色になった。試合ごとに雰囲気がウッズを中心に動いていく。アメリカ全体が興奮して、変になっていく。「タイガーは何でもやってしまう」という空気感のまま、マスターズを迎えたんだ。
三田村 ウッズがプロになって初めてマスターズに出場した1997年大会は異様な雰囲気だった。チケットの値段が1万ドルに高騰し、入場券を確保できなかったダフ屋が自殺する事件もあった。ナイキのフィル・ナイツCEOは、ウッズのトレードマークである赤いシャツに黒いパンツを合わせて18番グリーンの最前列の席に陣取ったんだ。
宮本 初日の前半ハーフのスコアは「40」。人々はみな「ああ、ダメか…」と思ったが、そこからストーリーは始まった。バックナインを「30」でまとめて一気にチャージ。初日を4位で終えると、2日目には単独首位に浮上。最終的には2位のトム・カイトに12打差をつけて史上最年少優勝(21歳3カ月)を飾った。

■ アメリカ社会を変えたウッズの“人種”は

―ウッズへの注目度はプロ転向前から最大級。また、「マスターズ」の会場・オーガスタナショナルGCはかつて白人中心の社会でした。黒人はキャディとゴミ拾いのスタッフに限定。1975年にリー・エルダーが黒人選手として初めてオーガスタの舞台を踏みました。ウッズの勝利は人種の枠をも飛び越えたという意味でも歴史的でした。

宮本 タイガーはアマチュアでマスターズに出場した時も、練習ラウンドでアーノルド・パーマージャック・ニクラスグレッグ・ノーマン(オーストラリア)と一緒に回るような金の卵だった。超一流の彼らからも異常なほど期待されていたんだ。
三田村 アマ時代にウッズはパーマーと食事をしたことがあったんだ。20ドルのランチをごちそうしてもらったんだが、その時、誰かが「アマチュア規定違反だ」と言い出して…。結局、ウッズは20ドルの小切手をパーマーに返すことになった。すると、その小切手が流れに流れて、オークションに出回った。たかだか20ドルの食事でアマチュア規定まで取り沙汰されてしまうほどの注目度だったんだ。マスターズでは一緒に練習していたら、グリーンジャケットを着ているメンバーの何人かが続々と見に来る。ウッズは父のアールさんと「僕たち、何か悪いことでもしたのか?」と話したそうだよ。そこには白人社会への抵抗や、ビクビクした気持ちもあったんだと思う。
宮本 1997年の最終日に1番ティに立った時、タイガーは帽子を目深にかぶり、つばに手をやった。その瞬間を忘れることはできない。リー・エルダーも応援に駆け付け、ギャラリーもメディアも、そこにいたすべての人が「18ホールを終えた時、時代が大きく変わる」と分かっていた。黒人選手が、ゴルフというスポーツにおける最高の舞台の頂点に立つ。父に背中を押されたタイガーも「きょうは歴史が変わる日だ」と理解していた。
三田村 インタビューも辛らつで「あなたは黒人からも黒人とは見てもらえない、アジア人からはアジア人と見てもらえない。あなたは何人だ?」と聞かれた(ウッズの父はアフリカ、オランダ系の白人とネイティブインディアンの血を引く。母は中国系タイ人)。しかし、タイガーは動じることなく「僕はカブリネイジアン(Cablinasian)」と答えた。白人(Cauacasian)、黒人(black)、アメリカインディアン(Indian)、 アジア人(Asian)を合わせた造語を作ってね。

■ ウッズの写真展は日本人が世界で初めて開催した

宮本さんは1998年、サンフランシスコで世界初のタイガー・ウッズの写真展を開きました。ウッズとの出会いは、おふたりのキャリアをどう変えたのでしょうか。

宮本 僕が胸を張れるのはタイガーの14回のメジャー優勝を全部撮影したこと。写真展の時にタイガーは、スタンフォード大時代の同級生を会場の受付スタッフとして紹介してくれた。アジア系で、アマチュア選手だった頃にはタイガーがキャディバッグを担いで試合にも出場したことがある。
三田村 1950年代後半から60年代以降、パーマーやニクラスがマスターズで活躍したが、我々は当時を生で目撃することはできなかった。その後、トム・ワトソンニック・ファルド(イングランド)が出てきたが、ウッズほど歴史を変えた主人公はいなかった。彼はそれを見せてくれた人間。目の当たりにできたのは、本当に運が良かったと思える。どの時代にもマスターズを勝つためには必ずスーパーショットがあり、それを見極めるのがメディアの仕事。しかしウッズが出現してからは、すべてのショットがスーパーショットになってしまった(笑)。どれがすばらしいプレーで、どれがそうでないのかの判断がつかないくらいにね。
宮本 人種主義を超えたシンボルになったタイガーは、マスターズだけでなく、ゴルフというスポーツを変えた。ロリー・マキロイ(北アイルランド)も、ジョーダン・スピースも、松山英樹もみんな彼を見て育った。だから今回のカムバックは、オーガスタの空気を変える。三田村さんも僕も長くこの世界でやってきた中で、一番大きかった出来事は間違いなく97年のマスターズだったと思う。

マスターズ開幕まで残すところあとわずか。今年は4人の日本人選手がグリーンジャケットを争う戦いに挑戦します。次回、“マスターズ編”の最終回はオーガスタナショナルGCに挑んできたサムライたちに注目。松山英樹への期待を語ります。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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