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三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

使えるクラブは10本まで 発祥地のキャディの仕事/ゴルフ昔ばなし

2019/05/22 16:00

ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏による対談連載「ゴルフ昔ばなし」は、明治後期にイギリス人の手でオープンした日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」を訪問中。18ホールで4049yd、パー61という独特な設定を持つ伝統的なメンバーシップコースには、今も続く独自のルールがあります。今回は当地のキャディと女性ゴルファーについてのストーリーです。

10本制限の理由は?

―1903年(明治36年)に開場した神戸ゴルフ倶楽部は、六甲山を“かき分けた”先にあります。平屋建てのクラブハウスには歴史を感じさせる調度品が並ぶとともに、簡素で清掃の行き届いた空間美がうかがえます。整然と並べられているのが、白地に黒い文字がデザインされたキャディバッグ。一般的なものよりも少し小さい感じがしますが…?

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三田村 神戸ゴルフ倶楽部ではゴルファーはクラブを10本までしかラウンドに持っていけないルール。バッグを担ぐキャディの負担を考えてね。ここはカートがないから、みなキャディに任せるんだ。
宮本 神戸ゴルフ倶楽部でキャディを務めるのは、主に神戸大の学生アルバイトのみなさん。ゴルフ初心者もたくさんいるそうだ。ひとりが2つ、3つと担ぐこともあるという。日本の多くのゴルフ場では考えられないことかもしれないけれど、米国のサイプレスポイントをはじめとした、名門クラブでも同じようなしきたりがある。ただ、日本から来た旅行客のゴルフバッグはとにかく重くて、コースの軽いキャディバッグにクラブを詰め替えられるケースがよくある。日本ではツアーを戦うプロゴルファー用のキャディバッグを使うアマチュアが多いけれど、あれは旅には適さないんだ。
三田村 スコットランドのリンクスコースでは手引きカートがまだ主流。体力的には乗用カートよりキツイかもしれないけれど、ゴルフをやる集中力は手引きカートの方が高まるような気がするね。精神的にも落ち着いて、コースを感じながらプレーできる。

10本だけでの楽しみ方

―10本だけでプレーするゴルフとなると、不安になるゴルファーもいそうですが。

三田村 それもゴルフの楽しみ方じゃないだろうか。自分の実力やコースのセッティングを考えて、自分でラウンドに持っていくクラブを選ぶことはおもしろい。普段本当に14本クラブが必要か?という話にもなる。ボビー・ジョーンズの時代は22本までだったという歴史もあるけどね(笑)。神戸GCは10本制限だけど、意外と7本くらいでプレーしても、普段とあまりスコアが変わらないなんて話はアマチュアの間ではよく聞く。青木功プロはパター1本で80を切ったという逸話もあるくらいだ。
宮本セベ・バレステロス(スペイン)が日本でテレビマッチに出演した時に3Iや5Iでバンカーから脱出させていた。ゴルフの楽しさは、そのゲーム性にあるはず。適したクラブと違う番手を握っても、ボールを転がしたり、上げたり…。あるいはフェースの歯(リーディングエッジ)なんかを使って打つのも、ゴルフなんだ。
三田村 日本のゴルファーがなかなかそういう楽しみ方をできないのは、やはりプレーフィが高いことに尽きる。一生懸命働いて、月に1回の待望のラウンドを2、3本のクラブで回ってみようとはなかなか思えない。まず「もったいない…」って思っちゃうよね。それがゴルフが生活に密着していない、ということなんだと思う。

キャディからレジェンドプロゴルファーへ

宮本 神戸GCのキャディの話で忘れてはならないのが、宮本留吉プロのこと。日本人で初めてメジャー大会(1932年全英オープン)に出場したゴルファーだ。
三田村 1902年(明治35年)に現在の神戸市灘区で生まれた彼は少年時代、13歳からここでキャディとして働いた。神戸GCでは1905年からキャディによるゴルフ大会も開いていて、第1回の優勝者は横田留吉。彼らにならい、宮本留吉も空き時間に自分で腕を磨くようになった。その後、クラブも自分で作る職人になり、プロゴルファーとしても海外遠征をする草分け的存在になったんだ。

宮本 倶楽部がキャディをねぎらう意味で始まったこの“キャディ・トリート”という親睦会はここでいまも続いている伝統。バッグを担いでも、ゴルフをプレーしたことがない学生もいるけれど、みんなでダブルペリア方式の競技に参加する。景品はメンバーが持ち寄るそうだ。
三田村 女性の正会員はいないが、神戸ゴルフ倶楽部は女性にもいち早くゴルフを広めたコースでもある。開場の2年後、1905年(明治38年)にはレディース競技を開催した。女性に“差別的”という考え方もあるかもしれないが、時代背景を考えると、今よりも立場の弱かった女性が男性会員と同じメンバーフィを払うことは難しかったはずだ。当時のメンバーたちは、会員制度は別にして、家族でプレーできる機会を持ったんだ。キャディ・トリートだけでなく、この女性大会も倶楽部ではいまも続いているんだよ。

神戸ゴルフ倶楽部は現在約450人のメンバーによって成り立っています。2003年には創立100周年を迎え、記念イベントを行いました。始球式は100年前の開場時にならい、当時の兵庫県知事が参加。メンバーは昔の衣装をまとって記念撮影を楽しんだそうです。本編最終回は、伝統を引き継ぐこと、守ることについて考えます。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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