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三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

ゴルフはシンプルに 中部銀次郎の教えとは/ゴルフ昔ばなし

ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏の対談連載は、かつてプロより強いアマチュアと言われた故・中部銀次郎さんを特集中。サラリーマン、経営者として生活した一方で、「日本アマチュア選手権」で6度の優勝を誇りました。2001年に59歳の若さで亡くなったレジェンドが残したゴルフに対する姿勢とはどのようなものだったのでしょうか。

■きれい好きな日本代表キャプテン

―体を鍛えるために始めたゴルフ。中部選手は『もっと深く、もっと楽しく』(1991年・集英社)などの著書でも、ゴルフとの向き合い方を多く説いてきました。普段の様子はどんなものだったのでしょうか。

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三田村 プライベートでは本当にお酒が好きだった。酒の場ではおしゃべりが大好き。それがゴルフ場に行くと正反対で…。
宮本 ラウンド中は本当に言葉を発しないんだ。周りとの会話はほとんどない。終わった後の酒の席ではビックリするほどしゃべるんだけど…。
三田村 ゴルフ場での動きには無駄がなかった。車をクラブハウスのフロントにつけて、受付に向かう。ロッカールームに行き、食堂に上がる。その所作に無駄がない。初めて行くようなコースでも、スムーズに歩く姿が美しかった。本当に几帳面な人で、よくズボンの折り目を気にしていたよ。「アドレスをした時のグリップの位置が、ズボンの左足のこのシワの前にいけない…」といったほどで。タバコの吸い殻も、灰皿の中に順番に並べていく人だった。灰皿にタバコの箱やビニールが捨てられていることがあるでしょう? それも「これは灰皿であり、ゴミ箱ではない」と気に入らなかった。

宮本 バンカーのならし方も本当にキレイで。洗車も好きだったんだよ。食事中も同じ。白木のカウンターがある和食屋さんに行ったとしよう。最初にビールを飲むと、コップの底が濡れて、木(カウンター)の上に水滴の輪ができるでしょう。そんな時、中部さんは「次からもコップを同じところに置きなさい」と言う。食事のマナーや姿勢にもうるさい方だった。
三田村 わたりばし(渡り箸)、まよいばし(迷い箸)…なんてとんでもない。「和食と洋食、食事によってマナーは微妙に違う」とよく言っていた。プロではなく、普段はいちアマチュアとしての生活、もちろん家柄(現在のマルハ株式会社創業者の家系)の影響もあって、「そういうことをチェックして、人を判断する人が世の中にはいる」ともね。そんな几帳面さは根っからのものだったんだろう。

三田村 中部さんはよく「ゴルフィング」という言葉を使った。競技ゴルフ、アマチュアの世界で頂点を極めた人だったが、スコアだけが優れているゴルファーには納得しなかった人だ。ゴルフというスポーツを取り巻く環境も学び、ゴルフを通じていかに楽しみを覚え、人と出会うか。彼はのちに日本ゴルフ協会(JGA)の要請でナショナルチームを引率して、海外遠征にも出向いた。学生アマチュアには毎朝、新聞を読むことから、スパゲティの食べ方まで教えた。「今の学生はヒジをついて食事をする。それでは海外に連れていけないだろう」って。1984年に香港で行われた「世界アマチュア選手権」で日本が優勝した当時、中部さんはチームでキャプテンを務めた。ゴルフのプレーについては選手に任せて、「おれはクラブハウスでずっと本を読んでいただけだったよ」と言っていたなあ。

■シンプルにゴルフを考えよう

―甲南大在学時に2度、社会人になってから4度「日本アマチュア選手権」で優勝。実力者でありながら、多くの人をひきつけたプレーぶりは決して難解なものではなかったと言います。

三田村 中部さんは「起こったこと(事象)に対して、心のショックをどう吸収して内面に収めていくか」ということをプレー中に重要視した。だから喜怒哀楽を表に出すのは、同伴競技者に対してではなく、自分に対して良くないと。人は目に入る情報に過敏に反応してしまう。だから平然としたゴルフを目指すんだと。
宮本 シンプルに考えることこそが、中部さんのゴルフ。高い球、低い球、フェード、ドローと様々なショットが必要になっても、「ボールの見るところを変えるだけ」というのが考えの根底だった。僕たち一般のアマチュアのスイングを見ると、よく「なんでそんなに難しい打ち方をするの? そんなに難しい考え方をするの?」と言っていた。
三田村 スイングはシンプルに、その一方で“気持ちの在り方”を大事にした。林に入ったボールに対して、木々の狭い間を通して狙うのか。それとも素直に横に、あるいは後ろ方向に出すのか。次のショットを打つに当たってどこが安全かを考えるとき、人は「後ろに下がる」ことを過敏に嫌がって、より難しい選択をしてしまう。しかし中部さんは「前に進めなくても、100ydも後ろに下がることはないんだ」と言った。アプローチでピンを狙う時も、多くの人が「手前1m」を目指すが、「なぜみんな手前に打ちたがるのか。必ずしも手前でなくても、ピン奥1mでもいいじゃないか」と。その方が気楽にプレーできる、「あそこに打たなきゃいけない」と自分を強いる思いは、ゴルフを窮屈にしてしまうと話していた。そんな人間の心情と、どう付き合っていくかということを追求したんだ。
宮本 僕らみたいなアマチュアがウェッジのフェースを開いて打つことにも疑問があったみたい。
三田村 もちろん、中部さん自身はそうやって打つこともできたんだけどね。僕らは「アプローチのときはウェッジを開いて打つ」ことを常識的に考えていたけど、中部さんには「なんでそんなことして打つの?」と言われた。「開くと難しくなる。しかも開いたときの角度は何を基準にしているのか? 普通に打てばいい。そのためにロフト角がついているんだから」と。どうも僕たちはメディアに毒されているところがあると気づくよね(笑)

■接待ゴルフは大嫌い ゴルフはスコアだけじゃない

三田村 中部さんはシンプルにゴルフをした一方で、先ほど話したようにゴルフを取り巻く環境も大事にした人。彼が一番嫌がったのは“接待ゴルフ”。高度経済成長期の真ん中を歩いたが、いわゆる日本的な“営業ツール”としてのゴルフが苦手。「社長は1mのパットがOK、部長は70㎝、課長は50㎝、平社員は20㎝がOK…なんていうのはおかしいだろう。ゴルフはもともと、ハンディキャップを用意することで誰もがフェアにプレーできるのに」って。昔はハンデの上限が「36」で決まっていたんだけど、それもおかしいと言っていた。「みんながスコアからハンデをひいて70台にならないとおもしろくない」と。ハンデ36では、110、120、130…とたたく人はゲームに参加できないのと同じだからね。だから、下手な人と回るときにはハンデを40、50、あるいはそれ以上あげていたんだよ。
宮本 中部さんは同伴競技者のプレーについて「飛ぶこと」には執着しなかったし、ほめることもほとんどなかった。それよりも、どんな状況でもパーを取ること、様々なパーの取り方を見せてくれた。
三田村 「ゴルフのスコアに小数点はない。きれいなパー、きたないパーとはスコアカードには書かない」と、よく言っていた。バーディパットを惜しくも外したパーも、たまたまチップインして取ったパーも同じ。「4.2」とか「4.8」なんてないからね。それぞれの1打がみな同じ価値なんだということを強く訴えていた。

宮本 ゴルフはどんなレベルの人も、一緒に楽しめるのがいいところ。中部さんは下手な人と回っても、ペースを乱されることはあまりなかった。
三田村 普段、「ボギーペースになる人はスコアカードを72から90に、ダブルボギーペースなら108にあらかじめ書き直せばいい」と教えてくれた。パー4なら、最初からパー5、パー6と考える。そうすれば、無理に2オンを狙って余計なトラブルを招くこともないと。“見栄の塊”でゴルフをする必要はない。自分の実力に見栄を張ることはないし、取り立てて卑下する必要もない。数字にとらわれず、いかに自分と正直に向き合えるか。それがゴルフの魅力だと。……イイことを聞いたんだけど、まあ、自分がプレーするとなるとそれは今も難しいよね(笑)。

宮本 中部さんはプレー中に素振りをほとんどしなかった。「素振りでナイススイングをしても、グリーンには乗らない」って(笑)
三田村 ボビー・ジョーンズが昔、「僕が一番嫌いなのはゲーム中にスイングについてあれこれ考える人だ」と手記を寄せたことがあった。中部さんも同じマインドだった。ボールが右に出る日は、その曲がりを利用してスコアを作ればいい、と。「ミスしても良い場所」を常に考えながらやる。スイングには完璧がないと話していた。昔、スランプに陥っていた尾崎将司が開眼したのは同じように「スイングに完璧はない」と悟った時だった。もちろん練習中は完璧を目指すが、試合中はスコアメークに徹する。そうすれば、完璧でない自分を許容しながら付き合っていける。

中部さんは青木功と同世代。AONとも交流があり、倉本昌弘をはじめ、数々のプロゴルファーから“憧れの存在”として慕われました。次回は、プロとの関係性を紐解きます。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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