プロキャディになる方法は? 14年越しの夢をかなえた男
吉田優利の米ツアールーキーシーズンは、フルフィールド最終戦「アニカdriven by ゲインブリッジatペリカン 」の予選落ちで終わった。それでも、12月のQシリーズ挑戦を予定しているので今年のプレーはまだまだ続く。好成績を出して来季の出場権を再獲得してほしい。
そんな吉田のそばで、14年越しの夢をかなえた男がいる。今年、吉田のバッグを8試合担いだ幸村公英(こうむら・まさひで)キャディ、通称“マサくん”だ。
マサくんの夢の軌跡は2010年、筆者との出会いにさかのぼる。マサくんは当時、ロサンゼルス郊外の練習場でゴルフのレッスンとスキューバーダイビングのインストラクターとして生計を立てていた。ある日、友人が全米オープン予選に出場した選手のキャディとして遠出した話を聞いた。
「練習場でのレッスンは風景が変わらない。自分もいろんな景色を見てみたい」という思いを抱いたことが、キャディを目指すきっかけとなった。一時はプロを目指した時期もあったが、ツアープロのレベルの高さを知り、挫折。一方で、TPI(タイトリスト・パフォーマンス・インスティテュート)でインストラクターの資格を取得するなどゴルフには常に関わっていた。そんな折、共通の知り合いを通じて知り合ったのだが、筆者はある相談をされた。
「ツアープロのキャディになりたいんです」。マサくんは真面目な性格で、ゴルフにも明るい。英語もできるとあって、ぜひ協力したいと思ったが、ふと気づいた。「プロキャディって、どうやってなるんだ?」
ツアープロになるなら、マンデー予選に出場して本戦を目指す道もあれば、QTに出場して勝ち抜く方法もある。道筋は明確だ。しかし、プロのキャディになるための道標はない。そこで「とりあえず試合会場に来ていれば、どうにかなるかもね。ちょっと仕事を手伝ってよ」と誘い、試合会場に来てもらった。
数年が過ぎると『マサくんという便利な子がいる』という情報が関係者の間で広まっていく。そして、米ツアーデビュー当時の畑岡のキャディをする機会を得た。あくまでも短期の採用だったが、その後、勝みなみ、西郷真央らのバッグも数試合担いだ。そして今年、吉田のキャディを8試合で務めた。気がつけばプロキャディの第一歩が始まっていたのだ。
「毎試合が勉強です。8試合も使っていただいた吉田選手には感謝しかありません」。まだ駆け出しに過ぎないが、夢は確かに実現している。この先の道は本人のさらなる努力でしか開けないが、筆者はマサくんの活躍を今後もロープ際から見守り続けたい。
◇田邉安啓(JJ)
福井県出身。ニューヨークを拠点にゴルフカメラマンとして活動する。1991年に渡米し、大学卒業後の96年から米国のゴルフ場で勤務した。98年からゴルフカメラマンとして、PGAツアーやLPGAツアーを撮影。現在は年間30試合以上を取材。