ニューフェース紹介<小田孔明>
今季7戦目にして獲得賞金2000万円を超えて、早々と初シード入りに当確ランプを灯した絶好調男、それが小田孔明だ。
見所は身長176センチ、体重(自称!)95キロの屈強な体から繰り出す豪快なその飛距離と、パッと目を引くその名前。
“孔明”は文字通り、諸葛孔明(しょかつこうめい)から取った。名付け親は父・憲翁さんだ。
三国志の大ファンで、中でも政治・軍事の両面で千人に一人という非凡な才覚を発揮して、特に「赤壁の戦い」で大活躍したその人に強く憧れていたのだ。
小田自身も、物心ついたときからそれを題材にした小説や漫画本を全巻買い揃えるほど熱中し、壮大な歴史物語にのめりこんでいった。
かの人物の偉大さ、聡明さに強く惹かれるようになったものだが、その一方で「正直、不安にもなりました」と振り返る。
「父は、僕にも彼のような人間に育って欲しいと思ってこの名前をつけてくれたのですが、僕自身、彼の頭の良さを知れば知るほど、なんだか名前負けしてしまいそうだな、と…(苦笑)」。
実際に、名前の由来を知った人からは「お前は“孔明”というより“張飛(ちょうひ)”って感じだな」と言われることもあるそうだ。やはり三国志の登場人物である張飛は、豪快な人物として描かれている。ちょっといかついその風貌も確かに、見る人によっては重なる部分があるかもしれない。
そんな小田がゴルフを始めたのは小1のとき。
憲翁さんが、手嶋多一の父・啓さんが経営する練習場のメンバーだった。たびたび、父にくっついてやって来る孔明に、目をつけたのは啓さんだった。「体格が良いから、ゴルフをやってみないか」と声をかけられ、レッスンを受けるようになった。そのころ、手嶋はすでに福岡の怪童と呼ばれており、九州ではその名を知らない人はいなかった。
「どうせやるなら多一さんのように、全国的に有名な選手になりたい」と、小田もプロ入りを意識するようになったという。
「諸葛孔明は中国では知らない人はいないほどの人物。それだけに自分の名前を、少し重荷に感じる時期もありました」と、苦笑いでこぼした小田だが、 2000年にプロ転向を果たして7年目の今年、見事シード選手の仲間入りをした今となっては、むしろメリットの方が多いのではないだろうか。
「一度、名前を覚えてくれた人は絶対に忘れないと思うから。これからも、この名前に負けないくらいの存在感で頑張りたい!」。
目標にしている数字は「67」だそうだ。
自身の誕生日の6月7日にちなんで、「毎日、67を出すことを目指している」という。
実現すれば4日間で268ストローク。パー72のコースなら通算20アンダー。そのスコアなら、念願の初優勝にも手が届くだろう。それこそが目下、ゴルフ界の“孔明”が立てた戦略。
先日29歳を迎えたばかりの小田がいま、がむしゃらに“天下取り”を目指している。