ツアープレーヤーたちの捲土重来<手嶋多一>
今年はアジアンツアーの「パインバレー北京オープン」が日本との公認競技に、また両ツアー特別協力の「アジアパシフィック パナソニックオープン」が誕生するなど、ジャパンゴルフツアーにも、確実に国際化の波が押し寄せている。米ツアーはもちろん、欧州に感心を寄せる者も増えているだけに、この流れには選手たちも歓迎ムードだ。欧州ツアーとの共催トーナメントも多いアジアンツアーで実績をあげれば、おのずと世界への扉が開ける。これを足がかりに海を渡る選手は今後、ますます増えていくことだろう。
しかし、言うまでもなくその道は険しい。昨年、洗礼を受けたのは手嶋多一だった。出場権をかけた一昨年11月の予選会「ファイナルQスクール」から波乱続きだった。6日間競技の大会は、悪天候のため中断に次ぐ中断で2日伸び、結局8日間の超・長丁場でどうにか資格の得られるランク19位に滑り込んだものの、その後も「想像を絶する天気や気候」に苦しめられ続けた。
スコットランドやポルトガルの風雨の激しさは言うまでもなく、結局1日も太陽を見ることなく終わったのは、アイルランドの大会だった。午前中は真夏日。半袖でも暑いくらいだったのに、午後から雪という過酷な条件を味わったのはスイス・アルプスでの試合だ。距離感にも惑わされた。「海抜何千メートルというコースは、普通では考えられないくらいに球が飛ぶ」。ついに対応しきれないまま予選落ちをした。
参戦1年目。コースはもちろん、初めて経験するところばかり。「とにかく、すべてが驚きの連続だった」。慣れない環境に、悩みはラウンド中だけではなかった。大学時代に米留学の経験があるが、欧州本土では堪能な英語力さえ生かせない。タクシーに乗っても無事、目的地に辿りつくまでは不安で一杯。飛行機の乗り継ぎで、荷物が紛失したこともしょっちゅうだった。ポルトガルからロンドン経由で飛んだときは、スーツケースがなくなった。夜中の12時に空港に到着し、1時間半待っても行方知れずのまま。三日三晩、同じ服で過ごすしかなかった。結局、その10日後に無事出てきたが「ああ、今週は無事クラブが届いた、と胸を撫で下ろす毎日」。
とある空港カウンターでは、なんと「搭乗拒否をされかけた」ことも。キャディバッグの重量が、規定より8キロオーバー。「あっちのカウンターでお金を払ってきて」と、言われるまま向かった別のカウンターで改めて重さを量ったら、今度は「9キロオーバー」と言われた。さらに料金を吹っかけられて「あっちでは8キロだった」と文句を言ったら、係員は表情も変えずにこう言い放ったという。
「そんなこと言うのなら、あんた乗らなくていいよ」。
「…もう、日本では考えられない対応の違いで…。慌てて、その場で土下座せんばかりに謝って、どうにか乗せてもらいましたけど、お国柄というか、日本との価値観の違いを心底痛感させられた出来事でした」と苦笑いで振り返る。
そんな苦労の甲斐もなく「こてんぱんにやられて帰ってきた」。結局、シード権も取れないまま11月に傷心の帰国。屈辱のままシーズンを終えるかと思われた手嶋だったが、完全撤退後、2戦目のカシオワールドオープンでツアー通算6勝目をあげて、しっかりとこの1年間の鬱憤を晴らし、自信とプライドを取り戻してみせたのは見事だった。
世界中を旅して歩いた怒涛の昨シーズンとは一転、今年は日本に腰を落ち着けて戦うが、根っからの“九州男児”はまったく懲りていない。「いつか、もういっぺんヨーロッパでやってみたい」。今年40歳を迎える「おっさん(笑)」は、捲土重来を胸に秘め、新シーズンを待ちわびている。