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ボクサーからゴルファーへ 元日本フライ級チャンピオン・神藤太志の紆余曲折

2021/01/31 17:30

軽やかなステップとジワジワと相手を追いつめる手数を武器に、1990年代初頭のボクシング界を駆け抜けた元日本フライ級チャンピオンの神藤太志(しんどう・ふとし)さん。18歳でのプロデビュー後、20歳で全日本フライ級新人王、21歳で日本一の王者として名を刻んだが、22歳で引退した。およそ26年が経ったいま、48歳のファイターは日本プロゴルフ協会(PGA)のメンバーを示すバッジを胸に着ける。

2021年1月某日、神藤さんはキャディバックを持って取材の場に現れた。手にするサンドウェッジのベースには、練習の跡が残る。1972年、神奈川県寒川町生まれ。グローブからクラブへ。その変遷にはどんな過程があったのか? 紆余曲折の人生をひも解いていく。

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■転機

「うちは貧乏で、お金が欲しいと思って。当時マイク・タイソンが何億と稼いでいて…それがすごいインパクトがあった」。神藤さんはあけすけに語る。

進学した栃木県の高校で始めたボクシングで早々に力をつけ、16歳で中退してプロの道を進んだ。上京して目黒区の東急東横線学芸大学前駅近くの「笹崎ボクシングジム」に通い、あと一歩で世界戦というところまで登り詰めた。

しかし「5連続KO中で、この試合に勝てば世界挑戦というところで脳内出血を起こしてしまった。それで引退」

戦績は16勝(うち8KO) 4敗。命がけで積み重ねてきたものは、21歳にして一気に崩れ落ちた。半年後に足しげく通っていたのは、ゴルフ場だった。

プライドですね。応援してくれていた人たちに弱いところを見せたくなかったので『何かやんなきゃ』と思っていた。夢とか目標とかあると頑張れるし、周りも『大丈夫かな』って思ってくれるかなって。何かないかって探していた

きっかけとなったのは、1991年「マスターズ」でイアン・ウーズナム(イングランド)が優勝したという話題をふと耳にしたことだった。

「165センチと小さい人がグレッグ・ノーマンとか185、190センチあるデカい人に勝っちゃった。しかも、ウーズナムもボクシングをやっていたという話を聞いて…『これだな』って思った」。身長はほぼ同じだったから、余計に胸に刺さったのかもしれない。求人広告で見つけた都内の若洲ゴルフリンクスでキャディとして働きだし、プレーも始めた。

■迷走

ゴルフ場で初めてクラブを振ってから半年ほど経ったころ、「まぐれもいいところなんですけど、パープレーで回れたんですよ」。平坦なコースで天候にも恵まれたというが、アスリートとしての才能はゴルフでも発揮され、24歳で栃木県の東宇都宮カントリークラブの研修生になった。

「でも、1年ぐらいでゴルフをやめてしまって…。やっぱり若かったんですよね。ボクシング時代から応援してくれていた彼女がいたんですけど、毎日電話したりして…。忍耐力が足りなかった。遊びたいと思っちゃった」。7年間はゴルフを一切やらず、新聞販売店を営んでいた父親の手伝いや内装業に解体業…。さまざまな職業を転々とした。

ふらふらしていた。そんなときに笹崎ジムの会長が亡くなって。亡くなる前に一回だけ会えて、最後に『真面目になれ』って言われた。そこから『真面目に生きるって何だろう』って考え出して…。ボクシングもゴルフの世界にも全く関わってなくて、宙ぶらりんの状態だった。ゴルフは自分からやめたし、ちょっとやりたい気持ちもあった

「ゴルフがなかったら、パチンコをやったり競馬をやったり。そんなことしか楽しみがない人生だったかも」。再び戻ってきたゴルフに対する熱は、元チャンピオンが再び上を向くに十分の感慨を伴っていた。

■再出発

かつてのゴルフ仲間に連絡を取り、腕を磨ける場所を探してキャディやスタッフとしても働いた。「若かったら大丈夫だったんですけど、仕事して練習してって結構大変で、足の腱(けん)とかを痛めながらやったりもした」。試合に出るためにも費用はかかる。成田空港で荷物の仕分けのバイトをして、夜中も走り回った。

負の連鎖だなって。ケガをして仕事ができなくなったらお金がもらえない。治ったらまた頑張って働いて取り戻そうとするけど、それでまた負荷がかかってケガをしてできなくなる…みたいな。厳しいなって

35歳になった2007年、悪循環から抜け出すため仕事を見直すことに踏み切った。経験のあった新聞販売店の経営に8年ほど励んだが、廃業。2016年3月、1年ほど構想を練っていた建設解体業の会社を設立した。徐々に余裕が生まれ始め、2017年ごろからゴルフを再び活動の中心に移した。「シニアの方で行けるところまで行きたい。自分の限界を知りたいんですよね。ツアーで1勝したい」。シニアツアーに出場できるのは50歳からで、PGAの会員になる必要がある。

2018年ごろは(シニア出場は)夢かな、とか思っていた。ゴルフってこんなに難しかったっけ?って。でも徐々にスコアが出るようになってきたので、推薦をもらって2019年にティーチングプロの資格試験を受けてみようと。そこで(コーチの)内藤雄士さんにも出会えて、僕は本当についている

2019年に実施されたPGA主催ティーチングプロB級の実技試験を突破し、2021年1月1日付で晴れてPGA会員となった。「こんなに集中できて、一生懸命向き合えるものに出合えて良かった。ゴルフって本当に終わりがないスポーツだし、なかなかうまくならないのが面白い。ボクシングはやればやるだけ強くなった。ゴルフはコースを回ると、ストレスがすごくたまる。狙いたいけど、自分の技量を考えるとここはがまんって…」

今後は2月上旬に始まるティーチングプロA級の試験とともに、年齢的にも出場がかなう2022年度のツアー出場権を懸けた予選会への準備を進める。第二のプロ人生の幕開けが待ち遠しい。(編集部・石井操)

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