米国で苦悩の1年 畑岡奈紗は家族に電話で嗚咽も
◇国内女子◇ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン 最終日(24日)◇利府GC (宮城)◇6551yd(パー72)
娘の勝利を見届けた父は涙をにじませた。2016年の「日本女子オープン」で国内メジャー史上初のアマチュア優勝、最年少制覇を果たした畑岡奈紗。幼いころから憧れていた宮里藍がアマチュア優勝を遂げた大会で、自身のプロ初優勝を遂げた。
父・仁一さんは「初優勝と一緒で『勝っちゃった』という感じ。ホッとはしていますけど、この1年、辛く苦しい経験をしてきたので、この瞬間はゴルフの神様がご褒美をくれたのかな…」
女子オープン優勝の8日後にプロ転向を表明。米国ツアーの出場権を懸けた最終予選会を突破し、今季は米国を主戦場とした。期待と希望にあふれて臨んだ新天地だったが、異なる環境や過酷な連戦に思うような結果を出せず、苦しいシーズンを強いられた。
今年4月の海外メジャー「ANAインスピレーション」の出場資格を得られなかったことをきっかけに、米国のコースに合わせようとして持ち味のショットが乱れ始めた。精神的にも追い込まれたという。仁一さんは「予選落ちが続いて、負のスパイラルに陥って。受けたのは妻ですけど、電話の向こうでは嗚咽していたと…」と声を震わせた。
娘の背中を押すように、海の向こうへ送り込んだはずだった。「今さら過去にも戻れない。でも父としてもっとやってあげられること、すべきことはなかったのかな」。ただ案じることしかなかった、と明かした。「普段は弱音を吐くことがなかった」という娘の電話に、このときばかりは母・博美さんも心配になったという。
畑岡は優勝会見で「苦しい時期を乗り越えられたのは両親と、成績不振にもかかわらず応援してくれる人たちの支えがあったから」と感謝の言葉を述べた。「アメリカでやりたい」という強い意志はあるが、来季の主戦場については「私だけでは決められない。両親と話し合って決めたい」とした。(宮城県利府町/糸井順子)