石坂友宏「鈴木さんがいたから僕がある」 不登校の時もゴルフも支えてくれた亡き師匠に捧げる初優勝
◇国内男子◇東建ホームメイトカップ 最終日(12日)◇東建多度CC名古屋(三重)◇7090yd(パー71)◇晴れ(観衆3182人)
16番にあるリーダーボードで、石坂友宏はクラブハウスリーダーの稲森佑貴と1打差と知った。17番はホール別難度18番目のパー5。フェアウェイから残り224yd。4Iでグリーン手前に運んだ。寄せて難なくトップに並ぶバーディにつなげた会心のショット。空から声が聞こえた気がした。
「トモ君、ここで勝負を決めろよ――」
昨年10月「日本オープン」の翌週、鈴木隆さんが93歳で亡くなった。「勝手に“師匠”と呼ぶ人」だった。10歳の時、地元・神奈川県横須賀の練習場で出会った。ティに足とドライバーを使ってボールを乗せると「ちゃんと手で置かなきゃダメだよ」と諭された。「なに言ってんの?この人」と思った。鈴木さんはゴルフが素人で基本的なことばかり言ってくる。「生きた球を打ちなさい」「力強い球を打ちなさい」「魂込めて打ちなさい」…。
石坂は小学校6年から中学3年間、不登校になった。「学校は別に行かなくてもいいよ」と言ってくれた。2023年の本大会の時、最初は現地に来ないはずだった鈴木さんから2日目の朝に電話があった。「今、名古屋まで来たんだ」。驚いて理由を聞くと「トモ君のスタートのショットが気になってね」。自分で車を5時間も運転して来てくれた。
「親とケンカした時も話を聞いてもらってました。ゴルフの技術的なことは一切言わないけど、厳しくて。鈴木さんがいてくれると不思議と頑張れる。鈴木さんがいたから、今の僕があります」
最終日は勝利に執着するより、やるべきことをやろうと思った。鈴木さんの教えのまま、4バーディ、1ボギー「68」で回った。プレーオフはプロ1年目の20年「ダンロップフェニックス」で金谷拓実に敗れて以来2度目。最も優勝に迫った末の惜敗を思い出し、正直「またプレーオフか…」と思ったが、やることをやった。18番での2ホール目、4mのチャンスを逃した後、稲森が1m強のパーパットを外し、30cmのウィニングパットを慎重に決めた。
プロ7年目、26歳で手にした初タイトル。「先輩や後輩が1勝、2勝としていって、アジアンツアー、DP(ワールドツアー)、PGA(ツアー)に出て行って、同世代が結果を出して」。道のりは確かに長かった。ただ、やるべきことをやってきた自負はある。18番グリーンで歓声を浴びて、うれし泣きした自分を、新婚の妻・星空(せいあ)さんと喜び合う姿を、できることなら鈴木さんに見てほしかった。(三重県桑名市/加藤裕一)