2017年 マスターズ

「まだ跳べる」神童ガルシアがグリーンジャケットを羽織るまで

2017/04/10 13:30
プロ生活18年分のガッツポーズ。神の子ガルシアがついにメジャーを制した

◇メジャー第1戦◇マスターズ 最終日(9日)◇オーガスタナショナルGC(ジョージア州)◇7435ヤード(パー72)

「マスターズ」の表彰式に出たのは2回目だった。セルヒオ・ガルシア(スペイン)は1999年4月、オーガスタナショナルGCでローアマチュアに輝き、直後に鳴り物入りでプロ転向した。「あの時…僕はこのコースが、最低でも1つはメジャータイトルを与えてくれると思ったんだ」。しかし、その後のキャリアではマスターズはおろか、他のメジャーの表彰式にも遠く、グリーンジャケットを羽織るまでには、実に18年かかった。

マドリードのクラブプロだった父・ビクターさんの手ほどきを受け、3歳でゴルフを始めたガルシアは、神童アマチュアとして欧州の注目の的だった。15歳で欧州ツアーの最年少予選通過記録(当時)を樹立し、欧州アマを制覇。17歳で、欧州下部ツアーで優勝した。

99年に19歳でプロ転向すると、6試合目の欧州ツアー「アイルランドオープン」で初勝利を飾った。その年のメジャー「全米プロゴルフ選手権」でタイガー・ウッズに次ぐ2位。最年少で「ライダーカップ」の欧州選抜の一員として大活躍し、“神の子(エル・ニーニョ)”は若かりしウッズの好敵手候補としての地位を確立し始めていた。

万人の期待は、ガルシアに重くのしかかった。欧米で20勝以上を挙げながら、メジャータイトルに縁遠く「全英オープン」で2位が2回。「全米プロ」でも2位が2回。今週を迎えるまでに出場した73試合のメジャーでのトップ10入りは40試合に上る。米ツアーで稼いだこれまでの賞金約4044万ドルは、メジャー未勝利選手としては最高額だった。

競技委員の裁定に憤って問題になったり、女子テニスのマルチナ・ヒンギスと交際して注目を浴びたり、話題に事欠かないが、メジャータイトルには届かない。2010年「全米プロ」後には約2カ月の休養宣言。13年にはウッズへのメディアを通したコメントが人種差別発言とされるなど、お騒がせぶりが目立った。

ガルシアは年齢を重ねて「いろんなことを受け入れられるようになってきた」というが、グリーンジャケットを着たこの日、「正直に言えば…すごく幸せだと思うけれど、何かが変わったとは思わないんだ。僕は同じ人間。マヌケな男のまま」と話した。「メジャーを獲ろうが、獲るまいが、僕の人生は幸せだ。良い人たちに囲まれて、僕は恵まれている」

第一に変わらないのは、ゴルフが楽しくて仕方がない、好きであるという感情。「マスターズでも、どんな試合でも勝ちたい。もちろん重圧がかかるけれど、僕はそれが好きでやっている。ゴルフをやって生きていくことが、小さな頃から今も続く夢なんだ」

99年の「全米プロ」。ウッズに次ぐ2位に入ったガルシアの語り継がれるスーパーショットがある。最終日の16番、第2打は右サイドの木の根元から、目をつむって強烈なスライスボールを放った。目を見開いて弾道を追い、左手でアイアンを握りしめたまま、19歳はフェアウェイを全速力で走りだし、ボールの行方に視線を送るため勢いよく飛び上がった。

当時を「体も細くて若かったね」と振り返るガルシア。「少し太っちゃったから、あんなに高く跳べるかは分からない。でも…足腰は丈夫なんだ。近いところまでは跳べると思うよ」

マスターズ出場19回目での初優勝は、マーク・オメーラの15回目(1998年)を大幅に更新し、グリーンジャケット獲得まで最も時間のかかったチャンピオンになった。苦難を示す記録がまたひとつ。それでも「まだうまくなれる余地があることが幸せだ」と言った。「僕は37歳。22歳、25歳といった若者ではないけれど、まだ何年もプレーできることがうれしい」。神童はいまだ童心を失っていなかった。(ジョージア州オーガスタ/桂川洋一)

■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール

1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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