2021年 マスターズ

胸にしまい込んだ苦闘 松山英樹の1344日

2021/04/12 21:01
松山が初めてマスターズ表彰式に出たのは10年前(Ross Kinnaird/Getty Images for Golf Week)

◇メジャー第3戦◇マスターズ 最終日(11日)◇オーガスタナショナルGC(ジョージア州)◇7475yd(パー72)

18番グリーンでのスタンディングオベーション、夕闇の表彰式の空気は10年前に知っていた。初めて「マスターズ」に出場した2011年、松山英樹は出場アマチュアで最も優れたスコアで回り、アジア勢として初めてローアマチュアのタイトルを獲得。今よりひと回りも、ふた回りも細かった体つきで、隣でグリーンジャケットを着たシャール・シュワルツェル(南アフリカ)を横目で眺めていた。

あの日、始まった松山とオーガスタのストーリー。「ここでまた、4日間プレーしたい」。その一心で駆け抜けてきたキャリアに、ここ数年は陰りが見えていた。2017年8月「WGCブリヂストン招待」でPGAツアー5勝目を挙げ、翌週の「全米プロ」で涙の惜敗を喫してから、タイトルは遠ざかった。

僕の親指は“わがまま”なんですよ

ケガと向き合った日々

最後の優勝からこの日までの1344日は、それまでのキャリアからすれば不遇に満ちたものだった。2018年2月には左手に痛みを覚え、試合を途中棄権して1カ月半離脱。治療のため一時帰国するフライトで「もうゴルフができなくなったらどうしよう」という不安に駆られた。「バックスイングでクラブを上げることすらできない。痛みがいつ出るか分からない不安がある。“わがまま”なんですよ。僕の親指…」

本格参戦初年度の2014年から、毎年30人だけが進出するシーズン最終戦に7年連続で出場。毎年コンスタントに成績を残していても、優勝に手が届かない。昨年3月「プレーヤーズ選手権」では単独首位発進を決めた初日の夜に、新型コロナウイルス感染拡大の影響で大会中止になるという不運も味わった。

年下の選手たちが台頭し、憧れのタイガー・ウッズも復活した傍ら、思い通りにいかないシーズンを重ねた。離れていったスポンサー企業もあった。そんな厳しい期間をどう過ごしたか? 決して腐らず、ひたむきにゴルフと向き合うしかなかった。ただタイミングを待つのではなく、あくまで不振の原因を突き詰めるだけだった。

10年ぶりの表彰式

2回目の表彰式はチャンピオンとして臨んだ(Jared C. Tilton/Getty Images)

専属キャディを変え、クラブを替え、あらゆる可能性を探る姿勢はより顕著になった。スマホをのぞいては情報をかき集める毎日。アンテナを常に立て、鋭い目つきは変わらない。今週、大活躍したパターのグリップは先月のオフ、ゴルフショップに買い物に出かけた飯田光輝トレーナーに「良さそうなのがあったら買ってきてください」とお願いした物の中にあった。

今年チームに迎え入れた目澤秀憲氏は、キャリアで初めて契約を結んだプロコーチ。これまで松山が追求してきたスイング、パッティング理論について忌憚(きたん)のない意見をぶつけ合う中で気づいたのは「『自分が正しい』と思い過ぎていた」こと。繰り返し口にしてきた「フィーリング」に、再現性を高めるべく客観的なデータに基づいたスイングを模索している。「知らなかった自分」を受け入れ、ゴルフとの向き合い方はより真摯(しんし)になった。

勢いに身を任せ、怖いもの知らずだったあの頃とは違う。経験を重ねるたびに増えるコースへの恐怖心におののき、弱気にもなった。すべての喜びも、苦しみも胸にしまい込んで。10年ぶりの表彰式でグリーンジャケットに身を包んだ。(編集部・桂川洋一)

■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール

1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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