優勝ダイブの生みの親、エイミー・オルコットとの遭遇
今年で42回目を迎えた「クラフトナビスコ選手権」。第1回大会は1972年に開催され、1983年からはメジャー大会へと昇格した。その大会の節目には、決まって世界ゴルフ殿堂入りプレーヤー、エイミー・オルコットの名が登場する。
米ツアー通算29勝、メジャー5勝という実績を誇るオルコット。「クラフトナビスコ選手権」は歴代最多タイの3度の優勝を飾っている。その1勝目は初めてメジャー大会に昇格した1983年。そして、2度目に同大会を制したのは1988年。この年、オルコットはキャディと共に初めて18番グリーン脇の池へとダイブする。
しかし、それはすぐに伝統とはならなかった。資料によると、続く2年(89年、90年)の優勝者は飛び込まなかった。1991年にオルコットがトーナメントレコードの15アンダーで3度目の優勝を果たすと、大会ホストのダイナ・ショアと共に池へと飛び込む。このシーンは、大会史上最も有名なダイブとして知られている。
だが、92年、93年も池へのダイブは無かった。94年、その年の2月24日に亡くなったダイナ・ショアに捧げるダイブをドナ・アンドリュースが行って、ようやく“伝統”が確立された。
今年はオルコットが初めてのダイブを行ってから25年。「アニバーサリーだから出ようと思った」と、08年以来の出場を決めたオルコットは、大会前日の早朝、偶然にも有村智恵のラウンドに途中からひょっこりと合流してきた。「何ホールかだけ、適当に打たせてくれない?」
年の差は32歳。「日本には41回行ったことがある。チャコ、アヤコ、ヒロミ・コバヤシとプレーした」というオルコットは、日本語を交えて有村とのラウンドを楽しんだ。結局そのまま8ホールばかりを共にプレーし、18番まで上がって来る。
「色んなアドバイスを貰いました」と有村。「いつも同じ気持ちでいることが大事。(成績が良くても)ハイにもならず、(悪くても)ローにもならない」。様々なことを聞き続けた有村に、別れ際オルコットは親切にもメールアドレスを教えてくれた。「いつでも連絡してきなさい」。
有村は目を輝かせて振り返った。「本当にアメリカに来て良かったと思います。ゴルフ人生でも大きな出来事だったので」。まだ日が昇りきらない早朝に起きた、幸運な“遭遇”だった。(カリフォルニア州ランチョ・ミラージュ/今岡涼太)
■ 今岡涼太(いまおかりょうた) プロフィール
1973年生まれ、射手座、O型。スポーツポータルサイトを運営していたIT会社勤務時代の05年からゴルフ取材を開始。06年6月にGDOへ転職。以来、国内男女、海外ツアーなどを広く取材。アマチュア視点を忘れないよう自身のプレーはほどほどに。目標は最年長エイジシュート。。ツイッター: @rimaoka