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石川遼から中島啓太へ ジュニア指導者・吉岡徹治がいま思うこと

偶然なのか、必然なのか?当時、杉並学院高1年だった石川遼が初出場したプロツアーで史上最年少優勝を飾ったとき、吉岡徹治(55)は同校ゴルフ部の監督だった。今年、通信制の代々木高ゴルフ部に籍を置く中島啓太と笹生優花(フィリピン)がアジア大会のゴルフ競技で、ともに個人・団体2つの金メダルを獲得した。同校ゴルフ部の監督もまた吉岡だ――。

公立中学校で教諭をしていた20年ほど前から、ジュニアのゴルフ指導を始めた。杉並学院でも教諭とゴルフ部監督を兼務していたが、石川の入学に合わせて教職を辞めゴルフ部に専念することを決意した。史上最年少優勝はわずかにその1カ月後だ。いまは、自ら立ち上げたアジアジュニアゴルフ協会の代表理事として、代々木高と提携しながらジュニア育成を続けている。

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1998年の「かながわ・ゆめ国体」でゴルフが公開競技として初めて国体に登場したとき、東京都の成年男子代表としてプレーした。当時はハンディキャップ0のスクラッチプレーヤーだったが、吉岡はいわゆる技術を教えるティーチングプロではない。近年はそれぞれの選手にコーチがいる。より大きな視野で、選手たちの環境を整えていくことが主たる任務だ。

「良いゴルフ場でラウンドすること。海外選手とプレーすること。プロと一緒の練習や海外キャンプ。食事管理やデータを使った考察など、あらゆることをやってきた」という。最新情報にアンテナを張り、育成戦略を常に改善していくことも日々の日課だ。プロとなった石川に指導方法を相談することも少なくはないという。

吉岡が石川と出会ったのは、石川がすでにその才能を開花させ始めていた中学生のころ。石川より9歳下の中島は、小学3年時から吉岡のジュニアキャンプに参加している。第2の石川を育てたいという試行錯誤の中から生まれた1つの成功例となった。

いま重視しているのは選手の「心」だ。「最近は、つらいこと、大変なことに向き合えない子が多い。すぐ楽な方に逃げてしまう」。たとえどんなに才能があっても、心が弱いと大成しない。しっかりとした志を持ち、困難にへこたれず、周囲の誘惑にも負けない心がなければ成功はおぼつかない。「やっぱり挨拶とか礼儀、普段の行動は大事です。そういうところから緩んでくる」。一見ゴルフとは関係のない日常の所作1つにも、厳しい目を光らせている。

吉岡のキャンプでは、年齢の違う子どもたちが、それぞれに適したティグラウンドを使いながら、9ホールのマッチプレーで競い合う。「目の前の相手との『勝った、負けた』にこだわること。強くなる子は、みんなその意識が強い」という。中島がマッチプレー最終年となった2015年の「日本アマチュア選手権」で、中学3年生にして2位となったことや、今年の「オーストラリア・アマチュア選手権(決勝ラウンドは64人によるマッチプレー)」を制したことも、こうした育成の成果だろう。

「やっぱり『好きこそものの上手なれ』で、石川も中島も、朝から晩までゴルフのことばかり考えている」というのは、成功する選手に共通する1つの資質だ。そういう選手は、ゴルフのためなら、(たとえば)左手で箸を持つこともいとわない。だが、恵まれた才能を持ちながら、それを生かしきれない選手もいる。どうしたら、1人でも多くそういう選手を引き上げられるか…。

かつては物理の教諭だった。「好きでやっていたら石川遼が出て、貴重な経験をすることができた。自然界である奇跡が起きたら、その法則を探す。その法則が見つかれば、再現性が高まる。メソッドを残したいんですよ」という。活動は自身が70歳になるまでのあと15年と決めている。「石川の優勝から金メダルまでが11年。あと15回。短いよね」と、きょうも子供たちを引き連れて、見えない法則を探している。(敬称略、編集部・今岡涼太)

今岡涼太(いまおかりょうた) プロフィール

1973年生まれ、射手座、O型。スポーツポータルサイトを運営していたIT会社勤務時代の05年からゴルフ取材を開始。06年6月にGDOへ転職。以来、国内男女、海外ツアーなどを広く取材。アマチュア視点を忘れないよう自身のプレーはほどほどに。目標は最年長エイジシュート。。ツイッター: @rimaoka

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