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今年の全米シニアオープンは素晴らしかった

by 小松直行

本当に見応えのある勝負だった。ゴルフで闘う相手はコースであって他のプレイヤーではないとはよく言うが、それはプレイヤーの自己暗示に過ぎない。ゴルフにこそ名勝負があることを、今年の全米シニアオープンはまざまざと示したのではないだろうか。
シニアツアーにあってはレギュラーツアー時代に目立った戦績を残していないプレイヤーの活躍は珍しいことではない。シニアツアーは単にレギュラーツアーの「OB会」ではなく、個々のプレイヤーがそれぞれのストーリーを経て50歳を迎え、心機一転、新たに自己実現を目指す舞台だからだ。しかし、ゴルファーとしての闘いの経験には、その時点で大きな差が出てくる。

去年シニアツアー入りしたドン(シェルドン)・プーリーにとって、最終日に最終組を共に回るトム・ワトソンは明らかに格が上の存在だ。ワトソンはPGAツアー34勝、メジャー8勝。全英オープンでの5度の勝利、マスターズでの2勝、そして1982年のペブルビーチでの全米オープン優勝。ワトソンはそれぞれのメジャーで、いまも語り草となっている神がかり的なショットを放ってきた。かたやドン・プーリーはPGAツアーでは2勝(1980年のBCオープンと1987年のメモリアル)、シニアでも優勝経験はなかった。

無名に近いプレイヤーがメジャーで最少スコアを出す事例はよくある。今回の初日のR.W. イークスの64がそうだったが、結果的にまぐれであったような印象を残す。三日目にプーリーがものにした63というスコアは全米シニアオープン記録となった。

ホール|1 2 3 4 5 6 7 8 9(OUT) 10 11 12 13 14 15 16 17 18(IN) TOTAL, スコア, 通算
YARD |426 391 515 176 439 462 536 196 406(3547) 360 437 187 580 330 215 430 464 455 3458(7005)
パー |4 4 5 3 4 4 5 3 4(36) 4 4 3 5 4 3 4 4 4(35) 71
-----------------------------------------------------------------------
1st D.プーリー|3 4 4 4 5 4 4 3 5(36) 3 4 3 5 3 3 5 4 5(35) 71, 0, 0
1st T.ワトソン|4 4 4 3 4 4 5 3 4(35) 3 4 3 4 3 3 4 4 4(32) 67, -4, -4
2nd D.プーリー|6 4 4 3 4 3 5 3 4(36) 5 4 3 5 4 3 4 3 3(34) 70, -1, -1
2nd T.ワトソン|4 4 4 3 5 4 4 3 4(35) 3 4 4 5 4 3 3 5 5(36) 71, 0, -4
3rd D.プーリー|3 5 4 2 4 4 4 2 3(31) 3 4 3 5 4 3 3 3 4(32) 63, -8, -9
3rd T.ワトソン|3 3 4 3 4 4 5 3 4(33) 4 3 4 5 4 3 4 5 4(36) 69, -2, -6
Fin D.プーリー|3 4 4 4 4 4 5 3 4(35) 4 4 3 5 4 3 4 4 4(35) 70, -1, -10
Fin T.ワトソン|4 4 4 4 4 4 5 4 3(36) 3 4 3 4 3 2 5 3 4(31) 67, -4, -10

しかし、プーリーは首位で迎えた最終日、出だしからバーディをとり、3番でバーディ、4番ボギーのあと、残る14ホールをすべてパーで回った。ワトソンとのプレイオフとなってからも16番から3ホールのストロークプレイをすべてパー。そして18番を使ってのサドンデスでは2回ともバーディをものにして栄冠を勝ち取った。一打一打の積み重ねがワトソンを退ける結果につながったのであり、それはまさにナショナルオープンのチャンピオンにふさわしい勝ち方だった。

プレーオフ|16 17 18 18 18
YARD |430 464 455 455 455
パー |4 4 4 4 4
-----------------------
D.プーリー|4 4 4 3 3
T.ワトソン|4 4 4 3 4

ワトソンのプレイも見事だったのだ。前半のボギーで一時は5打差となったが、9番、10番の連続バーディ、そして13番からの3連続バーディでついにプーリーに並ぶ。
ことごとくピンに絡むようなアプローチと、不安定だった三日目が嘘のようなパッティング。追い上げたワトソンはついにプレイオフに持ち込む。サドンデスの2回目、ワトソンのティショットは左のラフへ飛び、アプローチはグリーン奥のラフへ入った。
誰もが20年前のペブルビーチの17番でのチップインを思い出していた。結果的にはホールの右を通り過ぎて2mほど転がったが、プーリーがバーディパットを決めていなければ、ワトソンは入れてパーにしていただろう。

プーリーはワトソンのミスで勝ったのではなく、自らのバーディでチャンピオンとなった。15番で並ばれたときには「ここからが勝負だ」と思ったというプーリーだが、16番のティショットは明らかなミスで右の傾斜に飛び、ボールはスタンスより60cmほど高い位置でラフに隠れた。
一方のワトソンはフェアウエイ中央に堂々たるティショットを放った。輝かしい戦績を背負ったワトソンのすさまじい追い上げに気圧されて、やはり崩れてしまうのかと思いきや、プーリーは177ヤード先のグリーンに3ヤードしかないバンカーとバンカーの間を通して転がしあげ、ワトソンに肩をすくめて見せた。
逆にワトソンはアプローチをミスしてボギーにしてしまう。ワトソンのミスといえばこの16番でアプローチと最後のティショットだろうが、今大会で最難関ホールだった17番ですぐにバーディをとって戻すワトソンにはチャンピオンのオーラがいまも輝いているように見えた。

プーリーはPGAツアーでは1985年にヴァードン・トロフィー(年間最少平均スコア)の栄誉を獲得し、1988年と1997年にはパッティング部門でナンバーワンになっている。
今回の全米シニアオープンには地区予選を経て出場権を獲得し、最少スコア記録を塗り替え、優勝を果たした。地区予選からの優勝は全米シニアオープン史上初めてのことであり、プーリーにとってもシニア初勝利が初めての全米シニアというメジャー、そして15年ぶりの勝利となった。

ドン・プーリーは30年前、アリゾナ大学2年のときに、当時スタンフォード大の4年生だったワトソンと一緒に回ったことがあったという。プロとしての2勝目をあげた87年のメモリアルの3日目にも同じ組で、そのときプーリーは64か65といういいスコアだったことも記者会見で思い出していた。ワトソンは一緒にプレイをするにはこの上ない人物であり、そしていいプレイをするときにワトソンが一緒だということは本当に素晴らしいことだとプーリーは語った。

18番ホールのグリーンの回りで、プーリーのバーディパットを見守る2万5,000人のギャラリーの静寂は張りつめ、そして温かかった。レギュラーツアーにないものがそこにある。それは過ぎ去った時間への郷愁であり、失われたものへの哀惜の念かもしれない。しかし、それはゴルフというゲームに豊かで無垢な、かけがえのない価値をもたらし、ゴルフを愛するわれわれを幸せにしてくれる。

著者プロフィール
小松直行(こまつ・なおゆき)

1960年横浜生まれ。GDO(ゴルフダイジェスト・オンライン)スタッフライター。CS放送におけるゴルフ中継アナウンサーとしても活躍中。筑波大学卒。東京大学大学院修士課程修了、同博士課程中退。スポーツ社会学。資生堂研究員、日本女子体育大学専任講師を経て今春よりフリーランスに。同大学非常勤講師として教壇に立つかたわら、スポーツの伝え手たらんと鋭意修行中。テレビ朝日『ニュースステーション』リポーターをきっかけに、CNN『東京プライム』のキャスターを10年間つとめた。著書・訳書多数。カレドニアンGC。HD14。

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