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全米シニアOPに臨むチャンピオンたちの想い:B.フライシャー

by小松直行

私はCS放送のゴルフの実況アナウンサーとしてメジャー戦の生中継に携わってきている。タイガー・ウッズのプレーぶりには、まさに歴史の作られていくのを目の当たりにする興奮があるが、見所はウッズだけではない。シニアや女子も含めてメジャーにかけるプレーヤーたちの想いはさまざまであり、そして強烈だ。

ブルース・フライシャー(53)は去年の全米シニアオープン覇者として、今年の全米オープンに出場する権利を与えられていたが、舞台であるベスページ州立公園ブラックコースを視察して出場を取りやめた。 7,214 ヤード、パー70の設定は「自分にはアンプレイアブルである」という理由で。

誰もが出場を目指して努力する全米オープンの棄権を批判する声は多かった。シニアツアーからはヘール・アーウィンとトム・カイトだけが全米オープンに出場し、結果は二人とも予選落ちだった。しかし、ともに同僚のフライシャーの棄権については“やんわり”と非難していた。そうした批判に対して、フライシャーはメディアを通じて応じることはしなかった。

アーウィンはフライシャーについて「彼は昨年の全米シニアオープンの覇者として、ゴルフ界の極めて重要な部分を担わなければならない身分にあるはずです。つまりある種の義務がある」と語った。カイトはベスページを讃え、「チャレンジすることを楽しめないなら、出場しても意味がない」と言った。

アーウィンは後日、フライシャーに謝ろうとしたとのことだが、フライシャーの方はカイトやアーウィンの意見にも理解を示している。

「彼らの経歴を考えればよく理解できます。私にシニアツアーの代表として期待していただろうと思いますが、私の選択です。それは尊重して欲しい」

フライシャーは1968年に全米アマチュアチャンピオンになる。その後、プロ入りするが、勝ったのはわずかに1試合。80年代には一線から退いてマイアミビーチでクラブプロとして働いていた。1998年のQスクール2位の成績で99年にシニア入りした途端、遅い春が一挙にやってきた。ルーキーで各賞を総なめして賞金王に輝く。以来、3年半で14勝をあげ、去年の全米シニアオープンで念願のメジャータイトルも手に入れた。名実ともに実力が証明されたかに見えたが、フライシャーにはある種の淡泊さがつきまとう。諦念というのは言い過ぎのようだが、同時代を生きているシニアチャンピオンたちとは何かが違う。

2年前、2000年の全米シニアオープンでは、初日から記録的スコアで首位に立っていながら最終日にアーウィンに優勝をさらわれた。ミスをして負けたのではなかった。アーウィンのショットの切れ味は目を見張るものだったが、それだけでは言い表せない何かがアーウィンにはあり、フライシャーにないように見えた。アーウィンがレギュラーツアー20勝、全米オープン3勝、全米シニアも98年にすでに勝っているという輝かしいプレーヤーである一方、シニアで花開いたといえ、レギュラーツアーでは目立った成績を残せなかったフライシャーとのキャリアの差が、やはり、あるように感じた。

私は、3日目のラウンド後、「アーノルド・パーマーがいまでも私のヒーローだ」とフライシャーが言っていたのを思い出していた。20世紀最大のスポーツヒーロー。ツアー60勝、うちメジャー7勝。“THE KING”と呼ばれた男。パーマーはこの試合で引退をほのめかしていた。30年以上も前、全米アマに勝った翌年に招待されたマスターズで、フライシャーは初日、2日目をパーマーと一緒にラウンドした。前の晩は一睡もできなかったという。どんなまなざしでパーマーを見つめ、どんな会話をしながらのプレーだったのだろう。強い憧れは畏れに似ているのかも知れないと、ふと思った。自分はパーマーのいる世界でやっていけるのかと自問したかもしれない。

苦い経験をした2000年の全米シニアオープンの後、自分はやはりメジャーのタイトルを手にすることはないまま終わってしまうのかと、フライシャーはなかば諦めるような気持ちにもなったという。去年の全米シニアオープン最終日にも、フライシャーは切れかかっていた。3日目の雷雨で順延された第3ラウンドをプレーし終え、4ホールのうち3つをボギーとして首位から4打差に後退していたフライシャーの気持ちは危うい状態にあった。

「部屋に戻って、ウェンディー(妻)に愚痴を言ったんです。『もうUSGAのイベントには出ない。ヤツらはコース設定をハードにしすぎるよ』ってね。そしたらウェンディーは何て言ったと思います?『坊や、もっと大人になりなさい』って言ったんです。彼女は正しかった」

奥さんの同情的ならざる言葉がフライシャーを蘇らせた。初のメジャーを手に入れ、そしてニクラスとパーマーしか成し遂げていなかった輝かしい記録の保持者に仲間入りを果たした。全米アマチュアと全米シニアオープンにともに勝ったのは史上3人目。

「ちょっと信じられなくて、ほっぺたをつねってみないと。パーマーとニクラスに加わるなんて、ちょっとすごいことだ。まだ信じられないというのが正直なところです。私がそれにふさわしいのかどうかさえ、分かりません。ただ、良いときに良いところにいたというだけのこと」

1968年の全米アマから33年ぶりにUSGAチャンピオンシップに勝ったフライシャー。遅咲きの証拠はこれだけでなく、マスターズにも1969年に出場し、23年後の1992年に再び招待された。「すぐに枯れるバラではなく、咲くまでに時間のかかるラン」と自分を評する。

ところで、フライシャーにとっては全米オープンを棄権したことが、結果としてよかったと言えるだろう。代わりに出場したシニアツアーの試合で優勝争いをしたということではなく、その週初めに受けた、前立腺ガンの検査で疑わしい要素が明らかになったのだ。健康に対する不安を抱えながらも好成績を出したフライシャーだが、7月1日には精密検査を受けることになっている。

ディフェンディング・チャンピオンとして迎える今年の全米オープンを前に、フライシャーの存在感は去年よりずっと大きくなっていると感じる。メディアデーの記者会見では次のように言っていた。

「オープン・チャンピオンシップは別物ですね。他の試合とは違っているべきだ。ハードであるべきなのです。とにかくそれに立ち向かって、克服しなければならない。男にならなければいけないのです」

今年の舞台Caves Valley Golf Club の設定は、例によってUSGA仕様、「長くて、狭くて、速くて、深い」である。全長7,005ヤード、パー71、フェアウェイは狭く、(たとえば3番ホールは幅 28ヤード)、そしてグリーンはスティンプメーターで12フィートという速さ、加えてフェアウェイにボールを置けなかったら4インチ(10cm)以上の深さのラフが待ち受けている。

「USGAのオフィシャルの連中は夜中に笑っていると思うね。眠れないなんてことはないんだろうな」

誰もが、いまの自分自身に何ができるのかを証明して見せなければならない。それは、他の誰かのためではなく、自分への問いかけだ。シニアプレーヤーにとって、メジャーは自らの生の意味を問う切ない願いかもしれない。フライシャーは30数年を経て自分のスタイルを見つめ直したのではないだろうか。自分を受け入れたチャンピオンの、ワンショット、ワンショットを今年もライブで見つめたいと思う。

<参考文献>
* Golf Week誌, 2002年6月17付
* http://www.ussenioropen.com/press/kite.html
* http://www.ussenioropen.com/press/NEWS/fleisher.html
* http://www.ussenioropen.com/press/mediaday_fleisher.html

著者プロフィール
小松直行(こまつ・なおゆき)

1960年横浜生まれ。GDO(ゴルフダイジェスト・オンライン)スタッフライター。CS放送におけるゴルフ中継アナウンサーとしても活躍中。筑波大学卒。東京大学大学院修士課程修了、同博士課程中退。専門はスポーツ社会学。資生堂研究員、日本女子体育大学専任講師を経て今春よりフリーランスに。同大学非常勤講師として教壇に立つかたわら、スポーツの伝え手たらんと鋭意修行中。テレビ朝日『ニュースステーション』リポーターをきっかけに、CNN『東京プライム』のキャスターを10年間つとめた。著書・訳書多数。ホームコースはカレドニアンGC。HD14。

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