2009年 エビアンマスターズ

藍、ウィニングパットは「手が震えていた」

2009/07/27 10:12
感激の涙の後には会心の笑み!ツアー初優勝を果たした宮里藍(Stuart Franklin/Getty Images)

「エビアンマスターズ」最終日のバックナイン、自身初の米ツアー優勝を目指す宮里藍は苦しんでいた。11番でバーディを奪ったものの、15番でボギー。17番ではティショットをバンカーに入れたが、ここは何とか乗り切った。迎えた最終18番、昨日は3パットをしているこのパー5で、3打目をピン上4mにつけた宮里は、「手が震えていた」というこの下りのバーディパットを沈めて、土壇場で通算14アンダーの単独首位に躍り出た。

2組後の最終組から追い掛けるのは、ツアー通算4勝を誇るスウェーデンのソフィー・グスタフスソン。宮里と1打差で迎えた最終18番は第2打でグリーンを捉えてイーグルチャンスにつけると、これを外すも楽々バーディとして、宮里とのプレーオフにもつれ込んだ。

プレーオフ1ホール目、ティショットをグラスバンカーに入れてレイアップして4mにつけたグスタフスソンに対し、宮里は2打目でグリーンサイドのバンカーに入れ、そこから1.5mに寄せた。グスタフスソンのバーディパットは外れ、「72ホール目のバーディパット以上に手が震えていた」という宮里だが、落ち着いてこのウィニングパットをカップに沈めた。

その瞬間、宮里の悲願の米ツアー初優勝が決まった。「入った瞬間、凄く色んな思いが込み上げてきて、涙が出ました」という宮里は、被っていた帽子で涙を隠した。

「やりました!諦めないでやってきてよかったです」という宮里。「この4年間は無駄ではなかった。日本では勢いとか若さがあったけど、こっちに来てからはゴルフ以外でアジャストしないといけないことに時間が掛かって、それでも優勝出来ればと思ってやってきた。この4年間には意味がありました」と、振り返った。

日本人の米ツアーメンバーとしては24歳1ヶ月で史上最年少での優勝を果たした宮里。07年には極度のスランプに陥ったが、僅か2年で立て直した。「2年でよく戻ってこられたなと。自分をサポートしてくれたキャディ、家族、ファンの人とかに、こういう形で恩返しが出来て凄く嬉しいです」と感謝の言葉が溢れた。

「自分で言うのもおかしいけど、人間として少し成長できたかなということを感じている」と人知れぬ苦労を乗り越えた宮里は言う。悲願の米ツアー優勝を達成した勢いで次週はメジャーの「全英リコー女子オープン」へと臨む。「気持ちが切れているわけではないので、また頑張ります!」宮里の大きな瞳に、強い輝きが戻ってきた。

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