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<選手名鑑240・番外編>「最終回」佐渡充高

2017/05/31 13:00

■「感謝」

トム・ワトソンが差し出した小切手がPGAツアー取材のきっかけとなった ※撮影は2016年「マスターズ」 (Harry How/Getty Images)

いつもご愛読いただき、ありがとうございます。突然ですが、2011年6月にタイガー・ウッズで第1回をスタートさせたGDOでの連載を、前回で一区切りとさせていただこうと存じます。おおよそ6年間で240回。読者の皆様をはじめ、お世話になりましたGDO編集スタッフの皆様に心より感謝いたします。ご要望があれば、また別な形でカムバックしたいと思っております。

さて、最終回です。「誰を書こうか?」と妻に相談したところ、「選手について書かせていただいたのだから、自身についても記すべき。それがスジ!」と言われました。自分について書くのは難しく、なかなか筆が進まなかったのですが、なんとか37年の道程を振り返ってみました。つたない文ですが、よろしければご一読ください。

■ワトソンから手渡された小切手

私の曾祖父は米国初の日本語新聞発行に携わり、祖父は新聞記者、父親は出版社の編集者という家庭に育った。大叔父はロサンゼルスを巡るフリーウェイ設計者の一人など、親族の多くは米国在住で、少年時代から米国を訪れる機会が度々あった。家族にゴルファーはいなかったが、高校進学時に父からゴルフを勧められ、次第に夢中になっていった。

大学時代に日本の試合でDr.ギル・モーガン(眼科医資格を持つ選手でツアー7勝、チャンピオンズ25勝)のキャディを2年務め、優勝の感激を味わったのが大きな転機だった。その後の2年間は、世界の頂点に君臨し、当時「新帝王」と呼ばれたトム・ワトソンの来日時キャディに起用され、彼らの人柄に触れたことで米国PGAツアーへの興味が膨らんでいった。ワトソンにその思いを伝えると「試合を見においで」と費用の小切手を渡された。

■人生初のPGAツアー@ハワイアン・オープン

大学3年生の時のハワイアン・オープン(現ソニーオープン)で夢が実現する。当時の中継局・日本テレビでアルバイトもしながら、現地でワトソンと再会。選手のプレーや華やかな雰囲気を目の当たりにし、震えるほどの衝撃を受けた。

卒業と同時に就職したが、ゴルフへの思いを断ちがたく退職。東京中日スポーツで、記者として再出発する機会に恵まれた。駆け出しの頃、尾崎将司選手の軍団合宿にも体験参加したのは、厳しくも楽しい貴重な経験だった。日本の男子ツアーを主な舞台にゴルフと関わる仕事ができるようになり、充実していた一方、衝撃的だったPGAツアーへの思いは日に日に募っていった。数年間の記者経験ではまだ半人前に違いなかったが、1985年に渡米を決行。LAの親戚や親友の家を拠点に、念願の米国ゴルフ取材生活をスタートさせた。

当時のレートは1ドル約280円。今と比べ激しく「円」が弱かった。どれほど原稿を書いても飛行機代、ホテル代、レンタカー代を賄えない。食事は安い中華料理やファストフードでしのぎ、親しかったキャディ達の4人相部屋に加えてもらうなど極限まで節約。ある時は、モーテルのバーで南ア出身のデビッド・フロストに「ホテル代をセーブしたいので相部屋にしないか?」と持ちかけられたこともあった。選手もまた、海外からの挑戦組はスタート時に経済的な苦労が多く、後にツアー10勝、欧州2勝、チャンピオンズ6勝と活躍したフロストは、後年、優勝会見という檜舞台から私の顔を見つけ、「あの頃が懐かしいなあ」としみじみ語ったものだった。

80年代のPGAツアーは、メディアセンターにファックスもなく、小さなテレビが数台置いてある程度。親代わりのような存在だったAP通信の記者夫妻の打つ手動タイプライターの音が響き渡っていた。ツアーで当時メディア担当長を務めていたトム・プレイスは、気持ち一つで飛び込んできた日本人記者の私にも分け隔てなく接してくれ、今も感謝しかない。彼から「“無名”の選手はいない。知ろうとしていないだけ」など、その後の指針となる言葉をいくつも授かった。選手やツアースタッフの情熱は半端ではなく、毎日のように大きな刺激を受け、スコアの持つさまざまな意味を知るようになった。

■意外!? NYCは最高のゴルフ環境

結婚を機に拠点をニューヨークに移した。本当はフロリダ州やジョージア州にしたかったが、「ほとんど家にいないのだから何処でもいい」という単純な理由だった。だが、住めば都。NYCは飛行機の便が多いだけでなく、意外なほど抜群のゴルフ環境だった。歴史あるコースが多く、全米ゴルフ協会(USGA)創設の地でもある。

ゴルフ界の大イベントも度々行われ、88年には「USGA創設100周年記念式」がウォルド-フ・アストリアホテルで盛大に催された。ゴルフ界のレジェンドたちも全米各地から勢揃いし、特にタキシードで笑顔のベン・ホーガンとの対面は忘れられない思い出だ。ジーン・サラゼン、バイロン・ネルソンら往年の名手の方々とも、ご健在の時に直接会い、インタビューさせてもらい、その後の人生における貴重な財産となった。

選手たちは公私で度々NYCを訪れる。グレッグ・ノーマンらスター選手はデパートのレッスン会やサイン会に招かれるし、ジャスティン・レナードとはレストランで偶然に隣席となったこともある。タイガー・ウッズの父アール氏ともタイムズスクエア近くのカフェで行われた出版記念会の後にコーヒーを飲みながら雑談する機会を得た。緊張走る試合とは異なる素顔に触れるチャンスが多々あった。

日本の皆さんに米国ゴルフの情報をお伝えする仕事がどうにか軌道に乗り始めた頃、29歳の誕生日を前に一大決心をした………

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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