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バレロテキサスオープン
期間:04/21~04/24  場所: TPCサンアントニオ(テキサス州)

<選手名鑑196>ブライソン・デシャンボー(中)

スイング、クラブセッティング・・・独特の個性を放つB.デシャンボー

■ 15歳の衝撃 人生を変えた“The Golfing Machine”

アイアンのシャフトの長さ、ヘッドウェイト、ライ角を均一にする理由はブライソン・デシャンボーが編み出した独特なスイングをするために必要だからだ。15歳のある日、コーチのマイク・シャイから、ある本のコピーを渡された。それは1969年に自費出版された“The Golfing Machine”というスイング理論だった。著者はホーマー・ケリー(1907年生まれ、83年没)というシアトルにある航空機会社のエンジニアで、工学的見地からスイング理論を確立した人物だ。シャイは少年時代にその本に出会い、読み進めるうちに、その理論の虜になっていった。高校時代には毎日学校にまで持参して何度も読み返した。もう、その本はシャイにとって最も大切な物になっていた。

コーチと同じようにデシャンボーも夢中になり、肌身離さず繰り返し読むようになった。シャイはデシャンボーが内容に強い興味を持つことを想定していたのかもしれない。その理論は24の基本コンポーネンツから構成されており、各々のバリエーションも網羅されている。現在も“The Golfing Machine”の理論書は出版され、同インストラクション・システムで学ぶゴルファーは世界に拡がっている。内容を理解して行くに連れてもともと旺盛だった好奇心に火がついて、彼はこの理論を骨子に本格的に自身のスイング探究をスタートしたのだった。

■ 先駆者モー・ノーマンを知る

コーチのシャイとともに、ケリー理論の実践と追求の日々が始まった。そこで注目した人物がいた。半世紀ほど前にモー・ノーマンというカナダのゴルファーがケリー理論のスイングでプレーしていたのだ。彼のスウィングは日本では「ハンマー打法」という名称で伝えられていた。ノーマンは誰にも教わったことが無く、スウィングは自己流だ。ケリー理論とそっくりだったのはまさに偶然と言える。ケリー理論が発表された時、ノーマンは既に40歳。理論が発表される前からノーマンは同じスイングでプレーをしていたからだ。

ノーマンはアーノルド・パーマーと同じ1929年生まれで、04年に75歳で他界した名選手だった。サム・スニード、ベン・ホーガン、ジャック・ニクラスゲーリー・プレーヤートム・ワトソンら一緒にプレーしたレジェンドたちは揃って称賛し、今も「ゴルフ史上最高のボールストライカー」と評される伝説の選手なのだ。正確無比、マシーンのごとくストレートな弾道から「パイプライン」という愛称で親しまれた。カナダなどで50勝、40回以上のコースレコード樹立や「59」を3回も達成。ホールインワンはなんと17回、アルバトロスは9回など、超人的な記録を数多く残した。

それほどの名選手でありながら、欧米ツアーでの記録は皆無。その理由は、彼の人生は困難の連続で最高峰の舞台でプレーした時も、様々な悲しい出来事に見舞われ続けたからだった。5歳の時に交通事故に巻き込まれ自閉症による言語障害、不安症、過敏症に。特に人と付き合うことが苦手で、米国で数試合に参加したがアインシュタインのようなボサボサの髪型、ピエロのような派手な色のウエアだったために、ギャラリーや選手から容赦ないブーイングを受けた。心に深い傷を負ったノーマンはそれ以降、米国の試合に出場しなくなってしまった。もしノーマンが積極的に欧米の試合に参加し実力を発揮していたらゴルフ史は変わっていたかもしれない。

素晴らしいと知りつつも、プロがノーマンのハンマー打法を積極的に採用しなかったのは習得が難しかったからでもある。一般的なスイングは手首を自由に使うため、ワッグルなどで始動のタイミングを計ったり、柔軟性やパワーを生み出せる。だがこのスイングは、手首を伸ばしたまま行うので、手首の縦の動きを制限しなければならず窮屈と感じる場合もある。そこが難点なのだ。デシャンボーはケリー理論と先駆者ノーマンの打法について情報を集め、改善し、ひたすら練習を続けた。

■ 大学で出会った2人のスペシャリスト

カリフォルニア州で生まれ育ったデシャンボーはテキサス州ダラス郊外にあるサザンメソジスト大学(SMU)に入学した。そこで出会った2人の人物の見識が、彼のゴルフを大きく前進させた。1人はゴルフ部のヘッドコーチであるジェイソン・エンロー(41)で、米国下部ウェブドットコムツアー2勝の経験を持つ。彼もSMUの卒業生で、母校のゴルフ部の躍進に尽力。デシャンボーが探究する新スイングの良き理解者でもあった。デシャンボーの努力は尋常ではなかったという。「研究が大好き。好奇心にあふれ常に新しい何かに挑んでいた。あらゆるポスチャー、グリップ、スイングを試しては失敗を繰り返し、次へ進んで行った」と振り返る。もう1人はライアン・オーバーターフ。彼は大学ゴルフ部をサポートするバイオメカニクス(生体力学、スポーツ力学)の専門家で、彼の助言によりデシャンボーのスイング理論は磨かれていった。

■ オリジナルのSingle-Plane Swing

たどり着いたのはオリジナルの“Single-Plane Swing”というものだった。デシャンボーの構えで特徴的なのは「アドレス時に、腕とクラブがほぼ一直線に近い状態」になっていること。彼はシャフトの長さを全て6番アイアン相当の37.5インチに合わせていている。6番のライ角は61.5度が一般的だが、彼のライ角は全て72度と、極端なアップライト設定。腕とクラブを一直線に近づけて構えると、このライ角が適正となるのだ。

彼のスイングはアドレス時に腕とクラブができる限り一直線になるように構え、その直線を維持しながら上体を捻転させるシンプルなもの。理論上では、軌道が一つであれば誤差が生じにくい。スイングは一般的にアドレス時の腕とクラブのアングルが違うことで、それぞれ別の軌道を描くように動く。軌道が違いながらもインパクトでは腕が伸びクラブとほぼ一直線に重なる。デシャンボーは最初からインパクトに近い形で構え、その形を維持しながらスイングすることで、誤差を最小限に抑えようと考えたのだ。無駄のないスイングを追求し続け、実現のために懸命に努力してきた結果、ようやくたどり着いた形だった。

※次回は、ホーガン・トリックや、綱渡りトレーニングを紹介します

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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