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2014年 ライダーカップ
期間:09/26〜09/28 場所:グレンイーグルスホテル(スコットランド)

熱い!熱すぎる「ライダーカップ」名場面10

By Tom Alter, PGATOUR.COM

50年以上の歴史を誇る「ライダーカップ」から、特に記憶に残る名場面TOP10を古い順に挙げてみた。あくまで一個人の独断による選出だ。

1)1967年: 英国とアイルランドのキャプテン、ダイ・リースが自らのチームを堂々と紹介するのを辛抱強く聞いていた、米国選抜キャプテンのベン・ホーガン。彼は自分の番になると、メンバーに起立を求め、彼らの名を紹介した後にこう言った。「紳士、淑女の皆さま、米国選抜のライダーカップのチームは…世界で最高のゴルファーの集まりです」と。その声に、米テキサス州ヒューストンにあるチャンピオンズGCにいた地元の観衆は拍手喝采。いざ大会を終えてみると、米国選抜チームは全6セッションを制し、(当時は今と異なるフォーマットで争っていた)、23.5対8.5で圧倒的勝利を収めたのだった。

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2)1969年: 大会史上最も熾烈な戦いとなったのがこの年。両者並んで最終マッチの最終ホールに突入した。この年の「全英オープン」で18年ぶりにクラレットジャグ(優勝トロフィー)を英国にもたらしたトニー・ジャクリンは、ジャック・ニクラスと真っ向勝負に。大会初出場だったニクラスは、勝負どころとなる1m強のパーパットを決め、ジャクリンがこれと肩を並べるには短いパーパットを決めるしかないという状況に追い込んだ。しかしながら、常に親切心を持つニクラスは、ジャクリンに失敗の機会を与える代わりに、パットをコンシードする行動に出た。のちに“ザ・コンセッション”(究極の譲与)として知られるこの模様は、「ライダーカップ」史上初の引き分けとなり、素晴らしきスポーツマンシップの象徴として現在に至るまで受け継がれている。

3)1979年: 「ライダーカップ」スタートからの50年は、米国選抜チームが圧倒した(18勝3敗、1引き分け)。英国とアイルランドの混合チームには、マッチをもっと競争力のあるものにするため、欧州全体からメンバーを集めるべきだと方々から声が上がっていたのだが、その1人がニクラスだった。結果、この1979年大会から欧州選抜チームが実現。試合は米国選抜が18.5対9.5でまたもや圧倒的な勝利を収めたが、スペインのセベ・バレステロスの出現は「ライダーカップ」における新時代の幕開けとなった。

4)1983年: めきめきと力を付けた欧州選抜チーム。このうち異なる4カ国からピックアップされた4人のメンバーが、ゴルフの殿堂入りすることにもなった。そしてアメリカで行なわれた「ライダーカップ」では、初めて米国選抜を脅かす存在に。そんな欧州選抜チームを抑えるべく、ラニー・ワドキンスはスペインのホセ・マリア・カニサレスとのマッチで少なくとも0.5ポイント獲得する必要があった。ワドキンスは会場だったPGAナショナルGCの最終ホールをプレーする時点で、まだ1ダウンだった。彼はパー5の最終ホール、徐々に暗くなる空に向け、70ydsのアプローチショットを打った。遠くで稲妻が光る中、ワドキンスのボールはマッチを引き分けにしようとカップインしそうな勢いだった。それとほとんど時を同じくして、トム・ワトソンが17番ホールでのベルンハルト・ギャラハーを下した。米国選抜のキャプテン、ジャック・ニクラスはワドキンスがつけたディボットにキスをし、14.5対13.5の辛勝を祝った。

5)1987年: その前の1985年大会で珍しく圧倒的勝利を果たした欧州選抜チーム。彼らはアメリカの地で連覇を果たす最初の欧州選抜チームとなるべく、堂々とミュアフィールド・ヴィレッジにやって来た。欧州選抜チームは初日の午後のフォーボールマッチで大差をつけてリード。対する米国選抜チームは最終日のシングルスでの試合で反撃を狙ったが、ベン・クレンショーが最終ホールでアイルランドのイーモン・ダーシーに負けたことで命運は尽きた。この日のクレンショーはフラストレーションのあまり、ラウンド途中でパターを破壊し、その後のホールでのパットは1IまたはSWを使っていた。一方、スペインのホセ・マリア・オラサバルは18番ホールのグリーンで勝利を確信したが、これがアメリカの観衆を刺激。友好ムード漂うこの大会を熾烈な戦いに変えた。それから18年前の大会で“ザ・コンシード”の主役となったジャクリンとニクラスが、今大会はそれぞれキャプテンに。ニクラスのホームコースであるミュアフィールド・ヴィレッジで勝利をつかんだのは、ジャクリン率いる欧州選抜だった。

6)1989年: 回を重ねるごとに各マッチ、そして各ホールで拮抗した戦いとなっていた「ライダーカップ」はさらに見ごたえのあるものに。“スペインの無敵艦隊”ことバレステロスとオラサバルが3勝0敗1引き分けと活躍し、欧州選抜チームが2ポイントリードで最終日を迎えた。対する米国選抜チームはシングルスの試合で反撃。フレッド・カプルスはクリスティー・オコナーJrの戦いでの勝利を狙った。そんな2人のマッチはオールスクエアで英国のザ・ベルフリーの最終ホールへ。“ブーン、ブーン”のニックネームで知られるカプルスがまず、アイルランド出身の41歳にティショットで50yds以上もの差をつけてみせた。

一方、それまでの「ライダーカップ」戦績は0勝3敗で、そのときもキャプテン推薦で出場したオコナーは、2打目で一生に一度のショットを放った。2Iでのショットはホールからわずか数十cmのところで止まったのだ。これに動揺したカプルスは、9Iでの2打目をミス。オコナーが1アップで勝利し、欧州選抜チームは14対14の引き分け防衛に持ち込む貴重なポイントをもたらした。

7)1991年: 米サウスカロライナ州にあるキアワアイランドのオーシャンコースでの「ライダーカップ」は、“海辺での戦い”として史上最高の接戦となった。マッチはいずれも激しいものとなり、荒々しく、そして一進一退を繰り返した。大会自体はベルンハルト・ランガーとヘイル・アーウィンという、世界ゴルフ殿堂入り選手による最後のシングルマッチでの最終ホール、最後のパットまでもつれ込んだ。ランガーが2m弱のパーパットを成功させ、最終ホールを奪取すれば、欧州選抜チームの4連覇に。ランガーが失敗すれば米国選抜チームが14.5対13.5で勝利という構図だった。ランガーは結局、この大一番で失敗し、彼が天を仰ぐ姿は「ライダーカップ」を象徴するシーンとなった。

8)1999年: 1995年と97年大会で連覇した欧州選抜チームは、米マサチューセッツ州ブルックラインにあるザ・カントリークラブでの今大会2日目、10対6の大差をつけた。翌日にチームが成し遂げるまさかの展開が待っているとも知らず、米国選抜のキャプテン、ベン・クレンショーはメディアに対し、「良い予感がするんだ」と言いながら“大胆な”指のジェスチャーを披露。クレンショーの粘りと、最高のメンバーを擁した最終日のシングル戦の顔ぶれがその言葉を証明してみせた。米国選抜は最初の7マッチを勝ち取ったのだ。とはいえ、米国選抜チームの勝利にはジャスティン・レナードホセ・マリア・オラサバルとの試合で勝つ必要があった。レナードは最終7ホールのうち5ホールを奪取し、自身の復活劇も実現。17番グリーンでのバーディパットは「ライダーカップ」史でも最高の最終日のカムバックとなった。チームメイトらと共に勝利を喜ぶレナードの姿は、アメリカ選抜チームにとって「ライダーカップ」史に残る決定的瞬間となった。

9)2006年: ミュアフィールドでのオラサバルの勝利のダンスがアメリカ側の情熱をかき立てたことで、以降の「ライダーカップ」では力強いパフォーマンスが続出。レナードが導いた、ブルックラインでの米国選抜の勝利は欧州選抜に火を付け、欧州に3連覇をもたらす結果となった。うち2004年と2006年大会ではそれぞれ9ポイントの大差で勝利したのだった。さらに2006年大会はアイルランドのKクラブと、ホームでの快挙だった。一方、大会の壮大さと勝利の規模にもかかわらず、この年のダレン・クラークのストーリーは「ライダーカップ」の精神に再び注目を集める後押しともなった。妻ヘザーさんをがんで失ってから2、3カ月後のプレーだったクラークは、米国と欧州の両チームとそのファンに愛された。3マッチすべてで相手に勝ちを譲らなかった時にクラークが爆発させた感情は、欧米両チームの対抗意識をも超越し、この大会にいくぶん人間味をもたらしたのだった。

10)2012年: 「ライダーカップ」で最高のプレーをする選手の姿は顕著になっていた。欧州選抜チームの選手の中には、集大成ともいえる「ライダーカップ」前にキャリアを築く者もいる。メディナカントリークラブでの米国選抜チームはそれぞれ自力でマッチを勝ち取り、欧州選抜を負かす勢いだった。米国選抜は10対5でリードし、最終日のマッチの残り6ホールの時点では2アップだった。だが英国人のイアン・ポールターが上がり5ホールすべてでバーディを奪い、マッチでの勝利に弾みをつけた。そんなポールターの劇的かつ見事な追い上げは欧州選抜の士気を高め、彼にとっては直近の「ライダーカップ」優勝という、チームの中でも最高のカムバックの舞台ともなった。ランキングによる自動選出でぎりぎり代表入りしながらも、大会前の4試合では1試合にしか出場せず苦戦していたマーティン・カイマーは、ここ一番で2m弱のパットを決め、米国代表を撃破した。

テレビ制作やプログラム、プロモーションなど、25年以上PGAツアーに籍を置き、広報責任者でもあるトム・アルター氏。2012年の「ライダーカップ」を見ていた時のことを、「2、3分後には裏庭でキャッチボールができるからフットボールを探しておけ」と息子に言ったんだ、と振り返った。だがそれからすぐ、ジャスティン・ローズが対フィル・ミケルソン戦の17番ホールで長いバーディパットを決める事態が発生。アルター氏は息子に、キャッチボールをするのは5分後ではなく、2時間後になるだろうと告げたという。それこそが、「ライダーカップ」なのだ。

情報提供:PGA TOUR

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