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連絡先の交換はわずか1年前 松山英樹と石川遼の関係性

松山英樹石川遼が最初に出会ったのは中学1年生のときである。全国中学ゴルフ選手権というジュニア大会で同じ組で回った。松山は石川のスイングと飛距離に驚き、以来「すごく意識する存在」になった。そしていま、石川にとって松山の背中は追うべきものになった。GDOの対談インタビュー企画では、ふたりがそれぞれの経歴を振り返っている。

石川が最初に脚光を浴びたのは2007年5月。高校入学直後、初めて出場したプロツアー「マンシングウェアオープンKSBカップ」で優勝した。いまだ破られぬ金字塔、15歳245日での史上最年少優勝を遂げた本人は「ホントに“社会科見学”(の気分)だった」と当時を振り返る。“ハニカミ王子”旋風はゴルフの枠を超えてお茶の間にまで届き、石川は激動の10代を過ごした。

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同学年の選手がスターになっていくさまを松山は、どんな気持ちで見ていたか。「マジかよ、ヤベエみたいな。すげえな…というのと、悔しいなと思った」。ハングリー精神は猛烈にあおられ、その後の飛躍につなげた。とはいえ松山が表舞台に出てきた瞬間も、本人には“予感”すらなかった。2011年「マスターズ」出場につながる、2010年秋「アジアアマチュア選手権」優勝直前の時期はまさに絶不調。それが突然コース入りして復調した。「勝っちゃったよ…え?マスターズ?出られちゃうの?っていう感じだった」という。

ふたりに共通するのは、無欲での勝利、ある意味で奇跡的な72ホールをそれだけで終わらせなかったこと。その後も継続的な活躍を見せたことで、いまがある。

今年11月の「ISPSハンダ ゴルフワールドカップ」では、松山が石川をパートナーに指名してタッグを組んだ。しかしながら、ふたりの距離がぐっと縮まったのは、ここ1年あまりのことらしい。昨年11月、宮崎で「ダンロップフェニックス」に一緒に出場した際には、最終日の夜に松山が石川を呼び出して焼肉に誘ったが、連絡先を交換したのはその直前。主戦場がふたりとも米ツアーになって、約2年が経ってからのことだった。

石川は「周りの選手のすごさも、コースの厳しさも理解できるから、英樹と話していると飽きない。だから連絡を取り合えるようになったのは、おれにとってはすごく良かった」と“出会い”、いや“再会”に大いに感謝している。(編集部・桂川洋一)

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