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【GDOEYE】河井博大、先輩・田中秀道の思いに報いてツアー初優勝

80センチのウイニングパットがカップに沈むと、苦労で満ちた歳月がフラッシュバックした。「本当に長かった。ただ、それだけです。96年にプロテストに合格して、今日の今日まで長かった――」。兵庫県の小野東洋ゴルフ倶楽部で行われた「日本プロゴルフ選手権 日清カップヌードル杯」。最終日に「68」をマークした河井博大が悲願のツアー初優勝を飾った。

今季の国内メジャー初戦の大舞台。最終ラウンドでツアー未勝利の39歳を待っていたのは2008、09年の韓国ツアー賞金王ベ・サンムンとの熾烈な優勝争い。ともに通算6アンダーからスタートすると、両者前半で2つスコアを伸ばして折り返した。

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後半インに入り、パーを並べたサンムンに対し、河井は13番でバーディを奪うが、続く14番で2メートルのパーパットを外して再び通算8アンダーで並んでしまう。しかし17番(パー3)。ティショットを先に打った同組の2人がグリーン奥のバンカーに入れたのを見て、番手を落として9番アイアンを手にした。ボールはセーフティゾーンのグリーン手前のエッジへ。そして2週前に手にしたばかりのマレット型パターで7メートルを沈めて再び1打リード。最終18番をパーで切り抜け栄冠を手にした。

1996年にプロ転向した河井は、1999年のQTを4位で通過し、2000年にツアーに本格参戦。しかしその後は未勝利のまま賞金シード獲得と喪失を繰り返してきた。

支えになったのは広島・瀬戸内高校の1年先輩、田中秀道。可愛い後輩の才能を見出していた田中は、なかなか芽の出ない姿を見かねて99年、当時兵庫県内のゴルフ場に所属していたところを呼び寄せ、名古屋で生活の面倒を見ながら、ともにプレーしてきた。

しかし、なかなか花は咲かない。プライベートでは大雑把という性格も、本職のゴルフとなると「急にきっちりとしたがる」という。コースに出ると、途端に神経質な面が出てしまい、思い切りが失われる。先輩に助言を授かり、そのスタイルの変革に10数年、必死に取り組んできた。それでもQTを通過しても、レギュラーツアーの壁に跳ね返される。「もう違う職業にしたほうがいいんじゃないか」とクラブを置くことも考え、自暴自棄にゴルフから離れた。

だが、田中は見捨てなかった。河井がシード権を喪失した2007年のある日、“音信不通状態”になってしまった後輩の留守番電話にメッセージを残した。「コースに来たら、俺が喜ぶと思ってゴルフ場に来てくれ」。自身が米国ツアーに参戦中も「家族以上の存在」と思いやり、電話やメールでやりとりを続けていた。

この日のラウンド前、パッティング練習場で田中は「お前は絶対勝てないからな」と3度告げた。そして後輩は「ダメもとでやってみろ」という無言のメッセージを体現し、無欲のまま賞金3000万円、そして5年シードを獲得した。

優勝インタビューで「ずっと先輩の言うことを聞いてやってきました。本当に良かった。恩返しが、これでできたと思います」と目には涙が浮かぶ。グリーンサイドで抱き合い、田中が震える声でつぶやいた「ゴルフ、やめなくて良かったな」という言葉は大歓声にかき消された。(編集部・桂川洋一)

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2011年 日本プロゴルフ選手権大会 日清カップヌードル杯



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