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マスターズ
期間:04/06~04/09  場所: オーガスタナショナルGC(ジョージア州)

“わたしはアーニーズ・アーミー” 1つの空席をしのんで広がった輪

天国のライバルへ…マスターズ初日の名誉スタート。ニクラスは故アーノルド・パーマーへの思いを込めた

◇メジャー第1戦◇マスターズ 初日(6日)◇オーガスタナショナルGC(ジョージア州)◇7435ヤード(パー72)

誰かが合図を発したわけではない。白亜のクラブハウスから彼らが姿を見せた午前7時40分、柔らかな拍手の波は自然と沸き起こった。

凍えるほどの寒さなど気にも留めず、朝早くに詰めかけた大勢のパトロンが作った“花道”を抜ける、ジャック・ニクラスゲーリー・プレーヤー。その後ろを歩いて1番ホールのティグラウンドに足を踏み入れたマスターズ委員会のチェアマン、ビリー・ペインは、左腕にかけていたグリーンジャケットを、用意されていた椅子の背もたれに丁寧にかけた。

その席に座るべき人、そのジャケットの持ち主はもちろん、昨年9月に逝去した故アーノルド・パーマーだった。

マスターズ開幕を告げる初日恒例の名誉スタート。黙とうがささげられ、涙を必死にこらえていたプレーヤーが最初のショットを放った。続くニクラスは、泣いていた。右手でキャップを掲げ、朝焼けに染まった空を見上げる。2017年の第81回大会は、プロゴルフの礎を築いた“キング”を失ってから初めて迎えるマスターズだった。

この日の朝、会場にいた多くの人々が白い缶バッジを身に着けた。パトロンだけでなく、ボランティアスタッフや警備員、報道関係者。中央のマスターズのロゴを囲むように刻まれた文字。

I AM A MEMBER OF “ARNIE'S ARMY”

マスターズ初日、ギャラリーや関係者に先着順で配られたパーマーのファンを示すバッジ

この日は誰もが、パーマーの熱狂的なファンを指す「アーニーズ・アーミー」の、ひとりになった。

アーニーズ・アーミー(Arnie’s Army)。直訳すると“アーノルドの軍隊”というフレーズの発祥は1959年。パーマーが最初にマスターズを制した翌年のことだった。

最終日の観戦チケットともなるとオークションで数十万円に高騰する今では、まったくもって想像しがたいが、当時は試合当日に会場に行っても、誰でも5ドル程度でチケットを購入できる時代だった。小学校で教師たちが教室で販売するほど。当時のマスターズは、地域での多くの支援を必要としていた。

オーガスタナショナルGCから西に約15km。ゴードンという地域に陸軍基地がある。マスターズを創始したひとりである実業家、クリフォード・ロバーツは若かりし頃、この基地に従事していたことがあり、マスターズのテレビ放送の見栄えを良くするのも目的に、兵士には無料でチケットを配布して観客を集めた。

彼らの中にはもちろんゴルフを知らない兵士も多くいたが、ディフェンディングチャンピオンと紹介されたパーマーのプレーを追うと、次第に魅了されていった。軍服姿のファンたちは熱狂し、声援を浴びたパーマーは1960年に2度目のマスターズ制覇を遂げる。地元紙オーガスタ・クロニクルのジョニー・ヘンドリック記者によって、アーニーズ・アーミーは世界に発信され、その輪を市民の間で大きくしていった。

プレーヤーはつば迫り合いをした当時を思い返して言った。「アーミーがいるときの彼とプレーするのは大変だったんだ。叫ぶわ、(パーマーがパットを終えて)僕らがパットする前に次のホールに走るわで…。でも、そんなとき、誰かがそれをやめさせるんだ。それもアーミーの誰かでね。そういったファンこそが、真のアーニーズ・アーミーだったんだ」

ファンから愛され、ファンを愛し、プロゴルファーのあるべき姿を追求した生涯。パーマーは「あなたの心をそう駆り立てるものは何か?」と聞かれたとき、「それは、あなただ」と答えていたという。

今ではプロゴルフ、ツアーに関係する多くの人が「パーマーがいなければ、私たちはここにいなかった」と口をそろえる。互いを拠りどころにする幸福な関係性は、その身が天に召されてなお続いている。(ジョージア州オーガスタ/桂川洋一)


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