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オリンピックの価値とは? ゴルフ史上唯一の金メダルを探して

■金メダリストの素顔

1904年、アメリカ・セントルイスにあるグレン・エコーCCで行われたオリンピックのゴルフ競技で優勝したのは、当時46歳のカナダ人選手ジョージ・シーモア・ライオンだった。いまも多くの人に記憶されている、という選手ではない。

米国男子ツアーの取材で転戦している最中、そのリオンの金メダルが「とあるゴルフ場」に保管されていると聞き、111年前に遡り、カナダへも向かうことになる今回の取材はスタートした。

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早速、そのゴルフ場に電話してみると、電話口に出た女性は「ええ、確かにそれはこのゴルフ場にあります」という。ただ、「あなたがそれを見ることはできません。なぜなら、我々はプライベートなゴルフクラブですから――」と、取材するためのどんな口実も頑として聞き入れてもらえず、取り付く島がない。

一目見たい思いを胸に、米国で調べ始めたのは、1904年セントルイス五輪でのゴルフ競技についてだ。ゴルフが初めて五輪競技となったのは、近代五輪としては第2回大会にあたる1900年のパリ五輪。その時の優勝者には“Objet d’art”、いわゆる芸術作品と記念の飾り板が贈られており、セントルイス五輪での金メダルはゴルフ界初で、来年のリオデジャネイロ五輪までは現存する唯一の金メダルだった。

このメダルを手にしたライオンは、身長こそ高くなかったが、筋肉隆々な天才的アスリートだったと伝えられている。18歳でカナダの棒高跳びの記録を作り、36歳の時にはクリケットでもカナダ記録を樹立。他にも、野球、サッカー、テニス、カーリングなどでその才能を発揮し、ゴルフを始めたのは、なんと38歳になってから。力強いショットを生み出す独特のスイングは“小麦を大鎌で刈るようだ”と形容され、その後、8度もカナダのアマチュアチャンピオンに輝いている。

セントルイス五輪のゴルフ競技は、36ホールの予選ラウンドと、32人によるマッチプレーで6日間の競技期間だった。ひどい雨風に見舞われたという決勝戦。全米チャンピオンのヘンリー・チャンドラー・エガン(当時21歳)を3&2で下して優勝を決めると、ライオンはクラブハウスを逆立ちで1周して自らの勝利を祝ったというエピソードが残っていた。

金メダルと優勝トロフィーを獲得。インタビューで心境を問われ、ライオンはこう答えている。「この優勝トロフィーには“世界チャンピオン”という意味があるようだけど、自分は自分が世界一のゴルファーだと考えるほど愚かではない。とはいえ、自分が最悪なゴルファーではないってことが明らかになって、満足しているよ!」。

また、1908年のロンドン五輪でも、ゴルフ競技は行われるはずだったことがわかった。競技方法等を巡る議論に収拾がつかず、開催国のイギリス代表が出場をボイコットし、結局、ライオンがただ1人の出場者となり、初めから金メダルが確定していた。だが、ライオンは「公平な競技で勝ち取ったものでなければ、メダルは受け取れない」とこれを拒否。彼の人柄は多くの人に慕われ、その周囲には常に人が集まったという。

そんな経緯を持つ唯一の金メダルなら、なおさら見てみたい。

■2つの"金メダル"

今岡涼太(いまおかりょうた) プロフィール

1973年生まれ、射手座、O型。スポーツポータルサイトを運営していたIT会社勤務時代の05年からゴルフ取材を開始。06年6月にGDOへ転職。以来、国内男女、海外ツアーなどを広く取材。アマチュア視点を忘れないよう自身のプレーはほどほどに。目標は最年長エイジシュート。。ツイッター: @rimaoka

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