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2017年 全米オープン
期間:06/15〜06/18 場所:エリンヒルズ(ウィスコンシン州)

エルスの回顧 「全米オープン」で勝つために必要なもの

アーニー・エルス インタビュー

今年はアーニー・エルスがコングレッショナルで2度目の「全米オープン」制覇を成し遂げてからちょうど20年の節目となる。そこで、ヨーロピアンツアーは南アフリカのレジェンドと向き合い、懐かしい思い出を回顧した。

あれは1997年、オーガスタでタイガー・ウッズがセンセーショナルな優勝を遂げた2カ月後のことだった。当時27歳だったエルスは、ジェフ・マガートトム・レーマン、そしてコリン・モンゴメリーらとの優勝争いを制し、ワシントンD.C.で2度目のメジャー制覇を果たしたのである。

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エルスはその3年前、オークモントで18ホールのプレーオフの末にモンゴメリーを下して最初の「全米オープン」タイトルを手にしており、世界は既にビッグイージーの計り知れない才能を認めていたのだが、コングレッショナルでの勝利は、ヨハネスブルグ出身のエルスのポテンシャルを更に確定的にするものとなった。

その後、エルスが2002年と2012年に「全英オープン」を制覇し、更に2つのメジャータイトルを加えたのは周知の事実だが、あの勝利から20周年を迎える今でも、これだけは完全にはっきりとしている。あのメリーランドでのうららかな1週間は、プライスレスな記憶として鮮明に残されている。

ヨーロピアンツアー(以下ET): 20年経った今、思うことは?

アーニー・エルス(以下EE): 「20年も前のことだなんて、信じ難いね。あの特別な1週間の記憶は、いまだに新鮮なものだから。特にいくつかの瞬間はね。最終ラウンドの17番での2打目。あれはキャリアで最高のショットのひとつだったし、18番で決めたパットもそうだね。18番グリーンには、僕のパートナーたちや(妻の)リエゼルがいて、ハグしたんだ。多くの喜びと少しばかりの涙があったね。そういう瞬間を忘れることはないよ。今でも思い出すと鳥肌が立つんだ」

ET: 20年前のあの週の展開について、今でも思うことは?

EE: 「面白いことに、そんなに調子が良くないなかであの週を迎えたことを覚えているんだ。『ケンパーオープン』で予選落ちしたばかりだったから、不安定な感じだった。でも、僕らは『全米オープン』の前の週末にコングレッショナルへ行き、当時僕のコーチだったロバート・ベーカーやキャディのリッチ・ロバーツと共にゴルフコースでたくさん練習を積んだんだ。僕はコースセッティングがすごく気に入ったし、練習の日々のなかで自分のゴルフを取り戻すことができた。スイングはしっくり行き始めたし、パッティングのストロークは良い感触だった。週の初めは全く自信がなかったのに、木曜に大会をスタートするときは、昼と夜ほどの違いが生まれていた。木曜は落ち着いた感じのラウンドになったのだけど、そこからすべてが始まったんだ。日を追うごとに自信は深まり、それは日曜を通して僕のなかにあり続けた」

ET: あの勝利は他のメジャー制覇と比べてどういう位置付けであり、あの週は他の3勝と比べてどう違うのか?

EE: 「どれも同じように特別だけど、それぞれがとても異なっているね。正直言って、優劣はつけられないよ。ただひとつ際立っていて、今でも覚えているのは、あの2度目の『全米オープン』制覇でどれだけの自己信頼が得られたかということなんだ。その次の週、僕はウェストチェスターで通算16アンダーを出して2度目の『ビュイッククラシック』制覇を遂げた。あれは、僕にとってあの年の大きな転換点となったし、このゲームではどれだけ迅速に運気が変わるのかという証明にもなったね」

ET: あの大会は、同年にタイガーの台頭があった。ギャラリーが騒々しく、あるいは荒々しいくなった初めの大会のひとつだったけれど、雰囲気はどうだった?

EE: 「コングレッショナルは独特の会場なんだ。あの国の首都で『全米オープン』が開催されるのだから、特別な雰囲気になる。最終ラウンドを思い返してみると、ギャラリーは君が言うように騒々しかったし、とても熱かったけれど、個人的には居心地は良かったんだ。モンティと僕はちょっとした良い感じのライバル関係にあったからね。『世界マッチプレー』でも対戦したし、ヨーロッパや他のメジャーでも競い合っていたんだ。僕らは良いバトルをしていたし、お互いをリスペクトしていた。僕らはあの最終日にお互いを高め合ったと感じている。とにかく、僕はそう感じているんだけど、あの時はずっと抜きつ、抜かれつで、ジェフ・マガートトム・レーマンも争いに加わり、言ってしまえば、僕らは競い合うことで前へ進み続けたんだ。僕はそれが、集中し続け、最終的には大会を制覇する上での助けになったと感じている」

ET: 確かあの週、一時、君は13ホール中1パットが10回あったと記憶しているけれど、パッティングの勝利に対する貢献度はどれくらい高かった?

EE: 「それが最も大きな勝因だった。疑いの余地はないね。思い返すと、今でもあれは僕にとって最高のパッティングをした週のひとつだね。あれと、94年のオークモントでの勝利だね」

ET: カギとなった瞬間、あるいは勝利を決める上で最も重要なショットはどれだったろうか?

EE: 「ちょっとした瞬間、あるいはターニングポイントと言っても良いかもしれないけれど、そういうのはどのメジャーでもたくさんあるんだ。あの時は最終ラウンドに10番でチップインしたのを覚えているし、あれでバックナインは勢いに乗ることができた。でも、さっきも言ったように、17番がカギだったね。実際のところ、僕らは日曜にあのホールを2回プレーしたんだ。と言うのも、土曜に荒天で遅延が発生し、僕らは第3ラウンドの上がり5ホールをあの日の朝にプレーしなくてはならなかったんだ。僕はその5ホールを3アンダーで回っていて、17番ではピン側につけてバーディを奪っていたから、それで余分に自分を信じることができたね」

「面白いことに、実は僕らは練習ラウンドで、左奥のピンを想定した17番の2打目をリハーサルしていたんだ。日曜はあのピンポジションになる可能性が最も高かったからね。多分、ロバート・ベーカーは屋根裏部屋のどこかに、まだあの時のテープを持っているんじゃないかな!初めの2トライは全然ダメだった(笑)。でも、3度目の挑戦で完ぺきなショットが打てた。そして、日曜の午後は、実際に同じショットを再現することができたんだ。もちろんあの時はアドレナリンが出ていたけれど、少しドローをかけるスイングで、完璧なショットが打てた。僕が打ったなかで、最も素敵なショットのひとつだね。僕らはあそこをパーとして、1打差の首位で最終ホールを迎えたんだ」

ET: 「全米オープン」を制覇する上で(あるいは複数回制覇する上で)必要とされる最も重要なものは?

EE: 「パットが良くなければダメだね。それに、穏やかな気性も必要だ。自分自身を上げ過ぎても下げ過ぎても駄目なんだ。でも、何よりも大切なのは、自分は勝てるという信念を持つこと。日曜の午後の表彰式までは長い旅路で、目的地は遠いから、気持ちが前に行き過ぎてもいけない。本当に、歯車が狂うのはそういうときなんだ。それを克服する方法は何通りもある。簡単ではないけれどね。マリガンや(テニスのような)セカンドサービスはない。一打、一打、自分のショットを打たなければならないし、それがすべてなんだ。『これで歴史を作るぞ。メジャー7、8勝のうちの最初の勝利をつかむんだ』なんて思ってはいけないんだよ。僕にもそういうような状況はあったけれど、だいたいのケースではそういうときは台無しにしているね。勝ったとき、僕は落ち着きを維持し、その瞬間に留まり、要はコースに留まっていたんだ。勝つか、負けるかはいつだって紙一重なんだ」

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