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松山英樹に聞きたい72のコト 【DAY1】~振り返るキャリア~

2015年末 GDOインタビュー

最新世界ランキング15位、米国男子ツアーのフェデックスカップランキングでは昨季16位…まだ23歳ながら、すでに世界のトッププレーヤーのひとりとしてゴルフ界で認識される松山英樹選手。2015年は0勝でしたが、9回のトップ10入り、年間獲得賞金(14-15年シーズン)は日本人史上最高額の約375万8619ドル(約4億5479万円)を記録しました。来年112年ぶりに正式種目に復帰するリオデジャネイロ五輪では日本代表のエースとして期待がかかります。

日本人初のメジャー制覇をはじめ様々な目標が浮かぶ2016年。新年を前に、今回の連載企画では松山選手を“解剖”します。GDOニュース編集部の独占インタビュー「72のQ&A」。初回の【DAY1】は松山英樹の“基本のキ”。幼少期からプロ転向に至る経緯を振り返ってもらいました。「松山って有名みたいだけどよく知らないな」というライトユーザーの方はもちろん、ヒデキ・マニアのみなさんも、どうぞ“おさらい”を。

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<Q1:生年月日、家族構成は?>

「1992年2月25日生まれの申年、魚座。温かくて、魚がおいしい、あとミカンもおいしい愛媛県松山市の出身です。家族は両親と姉と妹がいます。血液型はB型。自分のことは確かにB型っぽいと思いますね。基本的に自分中心。他人のことよりも、自分のことばかりよく考えます」

<Q2:ゴルフを始めたきっかけは?>

「4歳の時、父に練習場に連れられて行ったことがきっかけでした(※編注:父の幹男さんは過去に日本アマチュア選手権への出場経験もあるトップアマチュアだった)。記憶は曖昧なんですけど、ゴルフを始めたばかりで1日に1300球を打ったみたいです…。何が楽しかったかは分からない。でも、分からないから今もやっているんじゃないですかね」

<Q3:体のサイズは?>

「身長181cmの体重90kg。靴のサイズは、たいてい28.5cmです。小学生の頃は、背の順でも真ん中から前の方で、確か6年生の頃の身長も150cmくらいだった。愛媛の中学に通っていた頃までは小さくて、明徳義塾中学に入って(※Q7参照)から伸びた感じです」

<Q4:ゴルフを始めた時のクラブはどんなものでしたか?>

「最初は子供用のものではありませんでした。当時はジュニア向けのものは、なかなか手に入らなかった。小学校1年生の時に初めてフルセットを作ってもらったんです。小さい頃に早く重いクラブに慣れるのもいいですが、子供は体の成長に沿ってスイングが変わるので、その都度クラブを選んでいくことも大切。僕は基本的に、子供が与えられているクラブはハードすぎると思っています。アメリカには日本に比べてたくさんジュニア用クラブがありますよ」

<Q5:初めてスコア「100」を切ったのはいつですか?>

「小学校2年生。普段の練習ラウンドではなく、初めて大会に出た時でした。『四国ジュニア』という試合です。アンダーパーを初めて出した時のことは覚えてないんですよね」

<Q6:小さい頃に得意だったクラブは?>

「サンドウェッジ(SW)でした。体も小さかったし、ジュニアの頃は飛ばなかったですからね。ゴルフ場に行っても、アプローチグリーンや、練習グリーンにいるのが好きでSWをずっと触っていた気がします。いまは、苦手ですけど(笑)」

<Q7:中学2年生でより良いゴルフ環境を求めて高知・明徳義塾に転校しました(明徳義塾高へも進学)。ホームシックになりませんでしたか?>

「父が明徳の高橋章夫監督に勧められたこともあり、転校しました。僕としては『なんだか知らない間に入っていた…』という感覚が正しいんですけど(笑)、迷いはなかったですね。寮生活では半年くらいを除いて、ずっと2人部屋でした。団体生活でいろんなことを学べたと思います。当時と今は状況が違いますけど、身の回りのことを自分でやるのは、さほど苦ではありません。洗濯?家では自分でやります。でも最近、愛媛の実家に帰ると、親が食事を作ってくれるありがたみを感じます…」

<Q8:小中高時代の主なタイトルは?>

「四国アマチュア選手権、四国ジュニア、全国高校選手権(2008年)、日本ジュニア(2009年)くらいですかね。Kochi黒潮CCでの『黒潮カップ』というジュニア大会なんかは4連覇しましたけど…。でも、日本のツアープロの中では、そんなに勝った方ではないと思います。この頃にはプロになることを目指していました」

<Q9:高校1年生の時の2007年に同学年の石川遼選手がプロツアーで優勝。当時の感想は?>

「遼とは中学1年の時に試合で初めて一緒に回ったんです。ビックリしました。ドライバーショットで40~50ydくらい置いていかれました。身長は、僕は160cmないくらい、遼は163cmはあったんじゃないかな…。それにしてもスイングがキレイで『スゲエ。こんな奴がいるのかよ…』って。中学3年の時の同じ大会で、また一緒に回って、遼が優勝。『やっぱりスゴかった』って思ったら、その2カ月後にプロの試合で勝ってしまった。友達からそのニュースをバスの中で聞いたんですけど、『え?ローアマチュア(その大会に出場していたアマチュアの中で最高の成績を収めた選手)じゃないの?』って信じられなかった。だって決勝36ホールに入る前にトップと7打差あったんですよ。まさか…スゴイなあ…と思ったけれど、2カ月前に一緒に回ったヤツが…と思ったら悔しかった」

<Q10:明徳義塾高から東北福祉大へ進学した理由は?>

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